イスラエル:ナスルッラー師のインタビューに対するあるイスラエル人知識人の考察(2)
2019年02月01日付 al-Quds al-Arabi 紙

■ナスルッラー師は「イスラエル人たちは私をメディアのキャンペーンに引きずり込みたかったのだ」と弁明

【ヘブライ語記事からの転載:ジャーキー・フージー】

今回、我々はナスルッラー師の他の一面を見ることとなった。同師は疲弊し、戦争には飽き飽きしていた。そして同師は穏やかに仄めかす形で、同師のことを全能だと考えひれ伏さんばかりの態度をとる記者を落ち着かせ、その記者から好戦的な言葉を取り除こうとした。

また、彼の頭上には壁に掛けられたプレートがあり、そこにはクルアーンのヒジュル(第15章)46節の言葉が書かれてあった。ナスルッラー師や同師のイラン人の主人たちが示すものには必ず意図がある。(このプレートが掛けられていたということは、)明らかに神聖な書にある偉大な意味を持つ一節以上の意味を持っている。ヒジュル章で、神はその偉大な威光を以って褒美と懲罰について探求を行っている。そして悪魔に従う者たちに地獄を用意し、地獄を畏れる者にはエデンの園を約束した。「あなたがたは、平安に心安らかにここにお入り」(というのがヒジュル章第46節の文言だ)。この表現は、混乱の中でシーア派が平静を求めている際の、彼らの平安と心安寧への強い願望を表現したものだ。そして、この表現を取り入れているシーア派は次のように言う、「私を放っておいてください、私もあなたを放っておきますから」と。

我々は、上記のことからナスルッラー師がイスラエルに対し和平合意を提示していると結論づけるべきではない。しかし、この罪のない無邪気なプレートが映り込んでいることに加えて、このインタビュー全てが他の見解を訴えている。同師はおそらく、イスラエルを挑発するという彼の習慣から一時的に距離を置く傾向にあるのだろう。しかしおそらく彼は、それ以上のこと、たとえば通告のない停戦を提案するかもしれない。

ナスルッラー師はある日(突然)木から降りることはできないし、おそらくそれを望んでもいない。イスラエルが同師に対して脅威を与え続ける一方で、同師が突然穏健さを示したとしたら、それは弱さに類するものとなるだろう。しばしば、我々の知っているナスルッラーは次のようなものだった。…イスラエルをミサイルで覆い尽くすことができると言及し、ガラリヤ地方の複数の地区を占領する計画があると強調する。また、彼の常として、イスラエル国民とその指導者らを仲違いさせようと試み続ける。

かつてナスルッラー師は成功していたが、同師の信条は時代遅れとなり、また我々も少々疲れてしまった。同師は、「あなたたちイスラエル国民にとってはネタニヤフ首相が(ヒズブッラーが所有する)精密ミサイルに損害を与えないよう伝えるほうが良いのだ」と述べた。同師はこの先進的なミサイルは10Mの誤差で標的を攻撃することができるとしている。そして同師はイスラエルが、一連の賢明な攻撃によってヒズブッラーが開発を試みたこの方法(精密ミサイルによる攻撃)を破壊したと主張し、同師の常として、婉曲的な表現で次のように述べた。「精密ミサイルは、私が主張するように軍事基地の方向に向けて発射され、軍事基地に損害を与える。しかし精密ミサイルもでないものが軍事基地に向けて発射されると標的を外し、周辺地区に損害を与えることになる。結果として、あなた方親愛なるイスラエル人にとっては、我々(ヒズブッラー)が精密ミサイルを所有しているほうがよいのだ。」

(3)に続く

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( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:46261 )