レバノン:住民でさえも知らないであろうベイルート (2)
2019年04月03日付 al-Quds al-Arabi 紙


サビール・ガッスーブの写真の中には、他の光景が映し出されている。これらの写真は他の作品に類似しているだけではなく、気が狂ったような光景でもあり、あらゆる物事が限界に達してしまったような光景である。「完全に仕上がった小麦色の肉体」や「バイク乗り」たちは現実を超えてしまった…彼らは(ベイルートの)街中には存在しないのだ。そうではなくて、(レバノン)国内には奈落の底へ落ちていく急速な崩壊と後退が存在し続けているのだ。

「これこそがベイルート」というタイトルを冠したこの展示会はベイルートの住人が知っているようなベイルートを展示しないだろう。この展示会が注力しようとするのは、ベイルートの住人に、いやベイルートの住人に対してすら、「あなたたちでさえも自分たちの街を知らないのだ」と告げることである。私は偶然にも展示会が始まった翌日にパリにおり、実際にベイルートに関して私の知らなかったことを鑑賞した。それは展示会にて親愛のブースに分類されていた作品の宗教的な側面に関するのものだ。(そのブースには)体に彫られた刺青の写真があり、私はベイルートに戻った際に、私の友人を驚かせることができると考えた。私の友人たちはベイルートにおり、彼らの間にも刺青は存在しているのだ。刺青は、その一部または全体が見えないように隠される必要があるにも関わらず、ここでは写真に収められているのだ。そしてそれらの写真は信仰心に篤い人が(ムスリムであるのに刺青を彫るという)、その教義とはかけ離れた行いをしていることを白日の下にさらしたのだ。(写真には)イマーム・アリーや、ハサン・ナスルッラーの刺青が映し出されていた。また、それに対してレバノン人達が必死に強調するバランスをとる方法として、皮膚に刺青として彫られた、あるいは胸にかけられた十字架を表す写真が展示されていた。

そして、聖シャーベルの巨大な白い彫像が運搬車両の荷台に横たわり、それが人混みで賑わう庶民的な地区を横切る様子を写す写真や、イフタール直前のラマダンの夕食に関する写真もあった…。

(3)に続く

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( 翻訳者:中鉢夏輝 )
( 記事ID:46606 )