■レバノン:ラーイー氏、カンヌービーンより:「国民を脅迫するいかなる人に対し教会は沈黙することはできない」(2)
【ベイルート:本紙】
「この教えのもと、政治的行為には立法、司法、安全保障のいずれであっても、個人の権利と物的権利、尊厳と人生の神聖さ、そして身体的・精神的安全において人間を尊重する義務が生じるようになった。このため教会は、宗教、意見、肌の色が何であれ、国民に向けられる物的、倫理的、経済的な脅迫に沈黙できない。否、教会は常に大きな声で福音書を読み上げ、権利と公平について叫び、圧政と欺瞞を取り払い、声なきものに声を上げる機会を与えるなければならないのだ。であるからして、ここ数日、信頼に値する数多くの不満がここ数日の間に書面で我々の下に届くなか、我々は高々と声をあげ、経済的・財政的危険、政治的相違、暴力や拷問、あちらこちらで行われている非人道的な侵害や行為を強く批判している。私たちは、我々の土地で行われている国民への懲罰に歯止めをかけるべく、政府高官らと行動を続けている。そうすることで、我々はあたかも別の体制、別の国家、そして別世界にいるかのようになった」
引き続き以下のように述べた:「聖母の被昇天と聖母戴冠における聖母は、この総主教本部におけるカンヌービーンのマリア様である。我らが総主教らは、オスマン帝国時代の400年間、カトリック信仰と独立性を護るためにこの地に住み、カンヌービーンの村に住むマロン派の人々、洞窟や草庵で修行する敬虔な信者や修道士ともに、礼拝と不屈さを以て抵抗した。17名の総主教が復活を希望しながら眠りについている。この地から聖エステファン・アル=ドゥワイヒー総大主教を筆頭とした総主教らは、先行者を通して祖国の趨勢を、そして司祭を通して教会の趨勢を導き、彼らはついに1920年9月、エリヤース・アル=ハウィーク総主教とともに大レバノンの建国の宣言に至ったのだ。その時、彼らは肉体的・精神的・物質的にも不当に扱われていた。彼らの聖座は侮辱され、燃やされ、移住させられたのだ。それから彼らは戻ってきた。そして耐え忍び、この渓谷から出発し、レバノンのあらゆる場所に根を張り、さらには五大陸まで展開した。そして、聖母マリアが彼女の賛美歌において「権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ」という預言がなされた。
ミサが終わり、修道院内部の見学が行われた後、総主教と参加者に敬意を表した午餐会が開催された。アントワネット修道院会長は午餐会の折、同修道院の修道女がカンヌ―ビーン修道院業務を引き受けてから25年が経ったことに謝辞を述べた。
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( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:47386 )