ヒッタイト遺跡発掘、3500年の歴史が日の目に
2019年09月07日付 Hurriyet 紙


チョルム県ボアズカレ郡の、ヒッタイト王国の首都ハットゥシャ古代都市遺跡において考古学的発掘が続いている。発掘リーダーのアンドレアス・シャッハナー教授は今年の発掘活動はヒッタイト人の日々の生活に関する痕跡と遺物を発見するために行われると述べた。

チョルム県ボアズカレ郡のヒッタイト王国の首都ハットゥシャ古代都市遺跡における考古学的発掘が続いている。3500年前の都市における今年の発掘活動は、約1000平方メートルの範囲で実行されている。発掘リーダーのアンドレアス・シャッハナー教授は地域での初の発掘は1906年に行われ、ハットゥシャが姿を現したと述べた一方で、今年の発掘活動はヒッタイト人の日々の生活についての痕跡と遺物を発見するために行われると述べた。
シャッハナー教授は昨年行われた発掘活動では、80個の焼成粘土製の水瓶が見つかり、今年も約20個の水瓶がさらに土の下から出てきたと述べ、発掘活動によって都市の下部入り口部分にある住宅と半分公共の建物群がある住居地区を表出させようと活動していると明かした。

■「3次元的な調査を行なっている」

また教授は発掘活動は今年の7月に始まり、10月の半ばまで続く予定だと述べ、「今年の発掘活動はおよそ1000平方メートルの範囲で続いている。どの季節でも我々の活動は多くのステップからなる。1つの居住地区を表出させるために活動し、また懸命な修復活動も行なっている。科学的な解説も重要だ。ヒッタイトの首都だったことがわかる価値ある碑が複数あることから、我々は3年にわたり三次元的な調査を行なっている。それらの碑文で、今まで解読できなかったとされるヒエラティックの碑文は少なくとも部分的に解読できるようになるだろう。デジタル環境では碑文を全く違う形で研究できるだろう。」と述べた。

■「ローマ時代の邸宅複合建築」

教授は作業者117人と発掘チーム35人で活動を行なっていると述べ、「チームメンバーは主にトルコだが、ドイツ、イタリア、アメリカから来たチームとともに活動を進めている。今年は下部市域の北テラスを中心に発掘している。少し上の階級の人々が住んでいた街区だ。住居は200〜300平方メートルで、通りもある。端には半分国の公共建築物も(あるのは)言及した通りだ。すぐ隣に作業場がある。数年前にとらえたローマ時代(の遺構)を明らかにするために活動している。数年前までローマ時代(の遺構)はただ墓地だけで構成されていたが、しかし現在は大きな邸宅複合建築がプールつきの建物とともに我々の前に現れている。紀元後1世紀以降人々は密集した形で生活していて、紀元後4世紀後半まで続いた。」と述べた。

■「保存用に使われていた水瓶が発見された」

教授は去年の発掘で80個の保存用水瓶に遭遇したと述べ、「かめの中には液状の食料品が保存されていた可能性が高いと考えている。数がとても多かったため昨年内に(発掘を)終わらせられず、今年も続けている。同地での発掘活動で今年は20個の水瓶がさらに発見された。」というように話した。

■「ヒッタイト人たちの日々の生活についての痕跡を探している」

シャッハナー教授は活動にはいくつかの目的があると話し、「都市の発展を知るためにも努力している。同時に、ヒッタイト時代の居住空間も多くは発掘されていない。50年前に発掘されたとされている場所だ。このため新技術、新らしい方法をもってより注意深く発掘し、人々の日々の生活についての情報を得ようとしている。なぜならここはヒッタイト人たちの首都であったという地位をもっているから、より多くのモニュメントや、宗教的、政治的プロパガンダに関連する構造物が建てられていたと理解している。それらについては以前の発掘の際にとても注目された。しかし人々の基本的な生活、何を食べ何を飲んだのかという部分はまだそれほど注目されていなかった。それに関しては多くの情報がないのだ。その情報を完全にするために努力している。」と述べた。

一方で1986年にUNESCO世界遺産リストに登録されたハットゥシャの楔文字碑文は、2001年にUNESCO「世界の記憶」リストにも登録された。

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( 翻訳者:伊藤梓子 )
( 記事ID:47496 )