コラム:ヒジュラ暦おめでとう
2019年09月03日付 al-Hayat紙

■ヒジュラ暦おめでとう

【ズィヤード・ダリース:本紙】

去る土曜日(8月31日)の朝はいつもとは違っていた。ヒジュラ暦1441年ムハッラム月1日だったからではなく、人々が、軽い調子の祝福の挨拶や、喜びを表した絵(インフォグラフィア)を交わしたからだ。それはまるで、ムハッラム月1日ではなく、(西暦の)1月1日のようだった。

否定できないのは、我々がヒジュラ暦をおろそかにし過ぎ、完全に隅へと追いやりすぎたということだ。おろそかにし始めた当初にこういう風に言っていただけではなかったのだ。「我々は、航空機の旅程や国境を越えた通信など西暦を使わなくてはならない遠距離での取引や国際的なコミュニケーションにおいてのみ、西暦を使う。社会的な予定には、ヒジュラ暦を使用し、「邑々の母(メッカの別称)の暦によると」といった表現を添えたり、両者を併用できる」。

西暦を常に使うことがダメで、同じく西暦だけを使ってもダメだとすることは早計だ、私は今もそう信じている。これは、特にイスラーム法がヒジュラ暦に沿って定めた我々の宗教行事においてだ。例えば、2019年のハッジとか2020年のラマダーンと言ったりすることだ。西暦にこのように対照させるのは、ヒジュラ暦を知らない人々に対して行われたとしてもだ。

「暦」はただ日付を知るための手段なのではなく、人々の文化、さらには社会的、経済的、宗教的な遺産の一部なのだ。暦は、月の周期と結びついた(イスラームの)ヒジュラ暦、太陽の周期と結びついた(キリスト教の)西暦、太陽、月の両方と結びついている(ユダヤ今日の)ヘブライ暦と多様である。

人々の暦を人類学の立場から研究する人は誰一人として、特定の暦が絶対に優位だと位置づけることはをしない。すべての暦に長所と短所がある。また、1年の日数を12カ月で割った際に生じる計算上の誤差の割合も(すべての暦において)似通ったものだ。どの文化でも、地球と月、地球と太陽の回転周期の誤差から生じる時間のずれを計算上解決するのに難儀している。

世界では今日、西暦が主流だが、ユダヤ人、ペルシア人、中国人、インド人、アフリカ人などの多くの人々は、彼らの宗教行事や、特に農業や狩猟の時期と関連した社会的な祝い事に際しては、数世紀にわたって伝承されてきた自分たちの暦を使っている。

要するに、太陽暦が今日の主流なのだが、これは世界で強者が生き残る自然淘汰によるものなのだ。このことを認めると我々の嘆きの多くは和らぐことだろう。しかし、このように認めたり、承認したりすることは、我々がヒジュラ暦を完全におざなりにしたり、あたかもそれがなかったかのように隅へと追いやることを正当化しない。

宗教行事でヒジュラ暦を使う聖域を守ってください。ヒジュラ歴と西暦を一つできたとしても、今年のムハッラム月1日を祝ったように、その都度ヒジュラ歴新年を祝ってください。こうした些細なことが、我々が文化的に受け継いできたものからヒジュラ歴が消滅しないことを可能にするのです。

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(翻訳者:庭野悠汰)
(記事ID:47506)