イラン映画:11年間亡命生活を送るイラン人映画作家の物語
2019年10月01日付 Cumhuriyet 紙
祖国から遠く離れて以来、彼女はまるで転がるダイスのようだ。私はイラン人の女優のであるザフラ・アミール・エブラヒミ氏について話をしている。彼女はモフセン・ナムジョー、バフマン・ゴバディ、ゴルシフテ・ファラハニ、マフマルバフ一家のような情熱を宿している。エブラヒミ氏は38歳だ。写真家、短編映画監督としても活躍している。15歳の時から芸術家として活動している。生まれ育ったテヘランで演劇を学んだ。彼女は最初の映画を18歳の時に撮った。母国のテレビでは最も有名な役者の一人だ。しかし、かつての恋人が彼女のプライベートに関わる映像を流出させたことで、2007年にイランから逃れなければならなくなった。パリで生活をしているエブラヒミ氏と、私たちはイスタンブルで落ち合った。
■「私は人生を愛する人間です。数々の問題は、私に更に人生を愛させるのです。私たちはいつでも希望を抱いていなければいけません、いつどんな時でも素晴らしいことは起こりえるのですから。」
-祖国から遠く離れて暮らすことはあなたに一体何を感じさせますでしょうか?
私が自分の母国を逃れなければならなくなったことは、私にそこまで大きな影響を与えませんでした。私は冒険が好きな性格で、観光が大好きですし異文化に興味をもつということもあって、それほど寂しい気持ちにはなりませんでした。イランでも自分のことをまるで移民であるかのように感じていました。人々は私のようにはものを考えないですし、世界観にも非常に大きな隔たりがありました。しかし私は(母国の)自然を、人の情熱が恋しいのです。テヘランに暮らしている時も、フランスに暮らしている時も私の冒険好きな性格は全く変わりませんでした。パリのようなヨーロッパの中心でそしてコスモポリタニズム的な都市で生活すること、毎日異なる文化に出会うことで私は喜びを感じます。ある形で自分のイランを、自分の祖国を自分自身で自分の力で作り出そうとしているのです。
-国を離れることに対しての家族の反応はどうでしたか?
私の家族も私のようにショックを受けていました。しかしながらいつも、山のように私の後ろにいてくれました、遠くから手助けをしてくれるのです。悲しいことは、社会とこの体制の重圧とともにイランを一時、後にしなければならないということです。家族は、何年間も会えなくなってしまうということを知っているのにも関わらず、私が新しい人生を始めるというので非常に喜んでいました。遠く離れてしまうというのは非常に困難なことですが彼らのエネルギーはいつも私の中に生きています。何度かイスタンブルでも会っています。
-11年間はどのように過ぎましたか?
困難でした。全くフランスへと向かうようなプランは存在しませんでした。あっという間に起こったのです。私はフランス語を勉強しようとしました。3年間私は芸術から離れていました。時に、「もういついかなる時も舞台には上がらない」とさえ考えていました。そのような時にある劇場で小さな役を演じ始めたのです。少人数の観客が存在していましたが、演じているときはあらゆることを抜きにして、(その演技が)自分により近くそして幸福であると感じていました。しかしながらある時以来、私は少し鬱状態になったのです。私はプロの役者に戻りたかったのです、特にオリエンタリストの国から東へとやってきた役者というのは言葉のアクセントと表情から、特定のキャラクターに割り当てられてしまうのです。
-それはどのようなキャラクターなのでしょうか?
例えばイラン出身の役者にはよりイラン人もしくは移民役のオファーが来ます。私は最近2年間で、自分の枠でこの人物たちを打ち壊しました。以前とは違ったオファーやプロジェクトが舞い込んでくるようになっています。
-国外のイラン人アーティストの方々とはどのような関係にありますか?
映画業界において私たちはお互いを頻繁に見出すことはできません。しかしながら私たち一人一人を見出した時に、私たちのそれぞれにエネルギーを与えることが出来ます、お互いの体験を分かち合っています。とりわけ、私よりも6ヶ月後にフランスに渡らなければならず、共同生活をしていたゴルシフテ・ファラファーニとはまるで姉妹のような間柄です。似たような経験をしてきているため、お互いにとってのインスピレーションとなっています。バフマン・ゴバディ氏、マフマルバフ(姉妹)のような方々と国外で出会いました。検閲を受け自分たちの仕事が妨害されたために国外へと逃れなければならなかったという理由もありお互いさらによい関係を築くことができました。このことがあって国外に逃れたイラン人アーティストはお互いをさらによく理解します。例えば私が役を演じた、『テヘラン・タブー』と『花嫁代償とデモクラシー』というタイトルの映画でも、それを手掛けた監督たちはイランを逃れなければなりませんでした。この映画の物語もイランから離れなければならなかった人々の物語なのです。これらの映画の予算を見つけるのは困難でした。このような状況ではお互いを見つけ出しそして一緒に仕事をするというのにも困難が生まれます。しかしこのひとたちは、たとえどこへ向かおうとも芸術を生み出す努力を続けることでしょう。
-もしあなたがイランに暮らしていたとすればそれはどのような人生になっていたでしょうか?
全く異なっていたでしょう。もっと多くの役を演じていて、もっと有名で恐らくはもっと楽な生活だったでしょう。しかし世界への見方はこれほど広くはならなかったはずです。
■上映がカンヌで行われて数多くの賞を獲得した映画「テヘラン・タブー」とは?
:3人の女性と1人の男性の人生の物語でイランのシャリーアによって弾圧を受ける社会において何が起こったのかということ、取り分け女性たちに起こった事を、性的なタブーを、家父長的な偏見を、宗教の役割を、法律と司法のシステムを映し出している。3人の女性たちの一人であるエブラヒミ氏は映画に関して、「売春をする女性を直接に社会の中で見ることはないでしょう。しかしながら社会においては数多くの場に存在しているのです。
映画はイラン社会の鏡なんです。この鏡で自分自身を見るということは、私達を苦悩させます。この鏡を見たいとは思わないのです。」と話す。
■「未来の女性像」
-イランの女性たちの活動に関しては何をお考えになっていますでしょうか?
体制は、女性たちに対したとえ小さ意図しても自由を与えることを怖れています。女性たちはといえば再び舞台に上がっています。障壁を乗り越えはじめているのです。私は11年前に起こった特殊な状況によって現在は女性たちからさらに多くの支援の声を得ています。女性たちをはじめとして社会は変化しています。男性上位のシステム下にとどまらないこと、スカーフを被らないこと、スタジアムに入ることといった私たちの願いは既に皆が知っていることです。男性たちも弾圧下にいます。男性のアーティストたちも時に何の理由もなく投獄しているのです。さらに「なぜ私たちは給料をもらうことができないのか」と言う労働者たちに対して、労働者のニュースを出す新聞記者たちを、自然を守ろうとする環境保護活動家たちに対して何十年もの懲役刑が与えられるのです。私たちはいまだに理解が出来た訳ではありません。一体、環境保護活動家たちが体制にどのように影響を与えると言うのでしょうか?裁判が行われないまま、何年間も刑務所内で訴状がないまま囚われの身となっているのでしょう?女性たちそして男性たちは肩をくんでまず女性たちに降りかかっている重圧を取り除くために闘争しなければならないのです。特に私の一つ下の世代はいかなることも恐れないのです。イランの将来はこの女性たちが作りあげます。何故なら社会を変えたいと思っている人たちとは、活動を行う女性たちなのです。
■「ブルー・ガール」として知られているサハル・ホダヤリさん(29)は、イランで試合観戦のためにスタジアムに入ろうとしたために禁固刑が言い渡されることに対する抗議として9月1日に裁判所前で焼身自殺を遂げた。FIFAは更に以前に女性をスタジアムに入場させることができるようにイランに対して10月までの猶予を与えたが、この要求が適用されなければイランの全ての国際サッカー大会への参加を禁止するという警告をしていた。
-サハル・ホダヤリ氏の事件は、イランにどのような影響を与えるのでしょうか?
国際的な(事件への)リアクションは短期間のものです。なぜなら、(各国の)イランとの関係が変わってしまえば、ありとあらゆる権利の侵害を忘れてしまい、それに従って行動するようになるのです。サハル氏の活動の影響はよりイラン国内で影響を与えるでしょう。変革もイランの中で始まらなければなりません。もしも一家の中の女性がこの運動に力をかさなければ、FIFAから一体何を私たちは期待できるといえるのでしょう?
-あなたの最新の仕事はなんですか?
2019年8月の終わりにトルコで上映が行われるフランス製作の『急いで、お父さんが探しているよ』という映画で私は役を演じました。試写が10月に行なわれる予定のドイツ製作の映画『明日私たちは自由だ』も私の最新の映画です。ニース国際映画祭においてこの映画で、外国語映画最優秀女優賞を獲得しました。もうすぐフランス制作の新しいプロジェクトに取り掛かります。これもまたカーブルが舞台の映画です。カービルを発端とした、パリへと逃れるアフガニスタンの少女の物語です。(第92回)アカデミー賞の候補作になっています。パリで制作会社を設立しました。撮影と編集を担当しています。私の目標は監督としてイランにおける私の最後の年月を取り上げる最初の映画を製作することです。私はイランに行くことができないので恐らくは撮影の大半はトルコで行うでしょう。トルコの制作会社からこの点での支援を得ることができればとても嬉しいです。
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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:47733 )