ウラルトゥ楔型文字碑文に釘!
2019年10月18日付 Hurriyet 紙

エルズルム県ホラサン郡ヤズルタシュ村にある3千年前のウラルトゥ碑文に太い釘が打ち込まれた。

アナトリア・トルコ史の研究を行っているアタテュルク大学のアルパスラン・ジェイラン教授は、ウラルトゥ王朝メヌア王の時代(紀元前810-786/80年頃)に属することで知られている碑文が、宝を探そうとする人々によっていつでも爆破される可能性があると述べ、関係者らに対策を呼び掛けた。

■敵はやらない

アルパスラン・ジェイラン教授はテュルク世界表面研究と東アナトリア表面研究の分野で、1998年から今に至るまで科学的研究を行っており、先週ホラサン郡ヤズルタシュ村を訪れた。歴史的な碑文に打たれた釘を見つけ、これを宝を探す人々もしくはアナトリアの歴史跡を消そうとする団体の仕業だと判断した。ジェイラン氏はこの件に関して関係各局に注意を促し、早急な対策を求めた。

ジェイラン教授は何年かに一度碑文を訪れているが、以前の訪問では釘が打ち込まれていなかったと話し、次のように述べた。「我々の歴史を自らの手で葬り去る方法の一つがこれだ。敵ができないようなことを我々は自分たちの手でやっている。私たちの故郷にとって大変重要な史料をなくそうとしている。彼らは金を探し、見つけるためにやっている。この遺跡は特にウラルトゥ時代にブラインド窓といわれるシステムを使って壁を整え、つくられている。ウラルトゥの王が征服した地域が刻まれている。その最後の行は、『この碑文を誰かが壊したとすれば、神々に呪われるだろう』と結ばれている。アナトリアの大変重要な遺跡を壊しても誰も得をしない。銘石の後ろに黄金はない。研究者の名を騙ってアナトリアをまわるグループがあるが、私はこの破壊は彼らの仕業だと考えている。」

■3千年前の碑文

ウラルトゥ王朝の重要人物であるメヌア王は、父イシュプイニ王の時代に得た経験を活かし、(父王との共同統治の時代を経て)単独で王位に就いた後、繁栄した時代を過ごした。アッシリア国が様々な前線で戦っていたことを好機と捉え、国土を大きく拡大した。ウラルトゥ王朝の最盛期を築いたメヌア王は、ウラルトゥの王の中で最も碑文を残した人物である。メヌア王は120の碑文を残したことで知られ、彼がディアオヒ国(南コーカサス地方、黒海南東部の歴史ある地方における最初の国家の一つ)へ遠征し、その国中のすべての城を落としたことを伝えるヤズルタシュ碑文は、第一級史料の1つの地位を占めている。エルズルム県ホラサン郡ヤズルタシュ村にある約3千年前の碑文は、一つ石の上にウラルトゥ語の楔形文字で彫られたようだ。この碑文はアナトリア史の最も重要な史料の1つで、メヌア王がディアオヒ国へ遠征に赴いてウトゥプシニ王に勝利したこと、そしてウトゥプシニ王がメヌア王の足元に身を投げて命乞いをし、メヌア王は金銀と引き換えにこれを助命したことが刻まれている。同時に、この碑文を壊したり、彫り変えたりする人々については、「彼らに日の光が当たることのないように」と呪いの言葉が刻まれている。

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( 翻訳者:大谷菜々 )
( 記事ID:47856 )