アタテュルク没の記念日、人々は墓所へ
2019年11月10日付 Hurriyet 紙


トルコ共和国建国の偉大な指導者ムスタファ・ケマル・アタテュルクの死去から81年を迎え、アタテュルク廟は、参列者で混雑している。布でくるんだ赤ん坊を連れてアタテュルク廟を訪れた家族もいれば、サポーターのグループ、学生や高齢者を含むあらゆる年代の市民が祈りをささげ、アタテュルクの棺に花を手向け、アタテュルク廟博物館を訪れた。

アタテュルク廟は、レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領の政府の高官が参加して式典が行われた後、訪れた人々に開放された。トルコの四方からアンカラにやってきた何千人もの市民が、トルコ国旗や花を携えてアタテュルクの墓所を訪れた。市民は祈り、アタテュルクの棺に花を手向けた。市民らは、衛兵交代式を興味深く見てから、アタテュルク廟博物館を訪れた。

■赤ん坊も老人もアタテュルク廟へ

アタテュルク廟訪問に布にくるんだ娘とともにやってきたブルハン・デミレルさんは、「私たちはボルからアンカラに来ました。とても悲しいです。複雑な感情を抱いています。ここに来られてうれしいですが、同時に私たちの父アタテュルクの命日であるため、悲しいです。子供たちと私たちの父の元を訪れました」と述べた。

退役したキプロス・トルコ平和軍の元連隊副司令官で87歳のギュルテキン・アルプガン歩兵大佐は、士官学校を1953年に卒業したと話し、アタテュルクの遺体があった武器輸送車を民族誌博物館からアタテュルク廟へ運んだうちの1人だと述べた。

アルプガンさんは、これが子供たちに遺される最大の栄誉であると強調し、「私はアタテュルクの哲学を、原則を、非常によく分析しました。昨日はアタテュルクがバルケスィルで行った説教を聞き、熱中しました。我々の宗教も共和国も、どれほど気高いものであるかを、アタテュルクはそこで指摘しました。これを見た後、内心でむしろ嫌悪を感じました。アタテュルクに、行動した人々に、それを無視する人々に」と話した。

■サポーターもアタテュルク廟へ

小学校の教師、エルサン・イルハンさんも、「悲しいです。共和国を建国したアタテュルクが今日、亡くなりました。アタテュルクの元を訪れることができるので興奮しながら来ました」と述べた。

デュズジェからやって来たソンギュル・ギョクスさんも、「アタテュルク廟は私たちにとって大きな意味を持つ場所です。アタテュルクは私たちの忘れられない、もっとも偉大なリーダーです。そのためまるで父を失ったかのように感じています。悲しみと痛みはまだ私たちの心の中にあり、いかなるときも消えることはなく、今後も消えないでしょう。私たちにトルコ共和国を与え、女性の権利を自由に与えたもっとも偉大なリーダーです、アタテュルクは」と話した。

アタテュルクの墓所を訪れた人々の中には、サッカーチームのサポーターらもいた。フェネルバフチェのユニフォームでやって来たメティン・カラカヤさんも、「偉大なリーダー、アタテュルクの元を訪れるためにイスタンブルから来ました。ここには素晴らしい感情があります。 悲しく、うれしいです。彼はこの素晴らしい共和国を私たちに遺しました。永久に、私たちも私たちより後の世代も、続けることでしょう。皆を招待します」と話した。

■訪問は続く

ゾングルダク県デヴレキ郡からやって来たイェテル・カヤアルトゥンさんとファトマ・カリンジェキさんも、アタテュルクをとても愛しているためアタテュルク廟を訪れたと述べ、「年を取っているので脚がとても痛みました。混雑のため中に入れないまま帰りますが、とても気になっていました。神の許しによって、ここまで来れました」と話した。

メルスィン県アナムル郡から来たネルミン・ソンダルさんも、アタテュルクへの愛は説明できない感情だと述べ、少し前に膝の手術を受けたにもかかわらず喜んでアタテュルク廟にやって来たと述べた。市民のアタテュルク廟訪問は続いている。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:48033 )