レバノン:トリポリは「レバノン第二の首都」の称号を取り戻す(2)
2019年10月21日付 al-Mudun 紙

■トリポリはその奪われた称号「レバノン第二の首都」を取り戻す

【ジャナー・ドゥハイビー】

・歴史的な光景

トリポリの(デモの)4日目、アブドゥルハミード・カラーミー広場(光の広場)には推定10万人以上のデモ参加者が集まり、広場の中心から隅々に至るで、歴史的な光景の中でレバノンの国旗だけがはためいていた。光の広場はレバノンの代表的な広場であり、真の街の広場であり、様々なバックグラウンドや宗派、勢力のトリポリの市民らを受け入れた。そして、皆が喜び、怒り、そして革命の下に一つになった。この広場は、イスラーム主義者であれ非イスラーム主義者であれトリポリの市民たち皆の問題を抱えているのだ。また、この広場は、その玉座に偉大なる神の名が鎮座しており、その神の名の下から「トリポリはムスリムの要塞」というスローガンが生まれた。そして、この広場は「DJ」によって流される歌の広場となり、やがてそれは踊りやダブケ(注)へと広がり、ついには市民らが「私の中にスンナ派がおり、ドゥルーズ派がおり、アラウィー派がおり、シーア派がいる…私はレバノン人」というスローガンを掲げるに至った。この日、諸宗教と様々な無宗教が存在するトリポリの街で、信仰を持つ人とそうでない人とを区別することは困難であった。彼らは皆単にレバノン人であるだけでなく、彼らの敵は同じであり、それは権力であり政府であり、時代であった。彼らは、類稀なる平和と文明の屋根の下で、一発の平手打ちもなく、喜びあるいは怒りといった様々な方法でこの敵意を表現した。この敵意の一体性は、大規模な民衆によるデモの中で組織的で自然発生的で自律的な枠組みを生み出した。その中で、ユニークな呼びかけと共にやってきた座り込みデモの参加者たちが熱心に自身の安全確保と危機管理を行っている。彼らは軍や治安部隊、赤十字、イスラーム系医療団体と協力しており、事件は一切起こることはなく、特にオートバイは広場への侵入を禁止されていた。また、直ちに治療が行われた数件の失神や呼吸困難以外は一切の負傷者も出なかった。

(後略)

注:レヴァント地域とイラクの一部に伝わるアラブの伝統舞踊のひとつ。

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( 翻訳者:金子将己 )
( 記事ID:48141 )