イラク:反政府運動が速やかに拡散
2019年11月30日付 al-Mudun紙

■イラク『革命』の歴史的な一日 『革命』は速やかに拡散

【マルワーン・アビー・サムラー】

11月29日(金)は、イラクにおいて歴史的な一日となった。(治安部隊による)虐殺行為が、ナーシリーヤやナジャフで『革命者たち(デモ隊)』を脅かさず、むしろ数十人の死亡者と数百人の負傷者が出たことで彼らがますます決意を固め、執念を燃やしたからではない。また、『革命(反政府運動)』が、ナーシリーヤの虐殺行為を直接指示した殺人鬼ジャミール・アルシャマリー将軍を夜間、特別機でナーシリーヤからバグダードに追放したからでもない。そして、『革命』が(ナーシリーヤがある)ジーカール県や、ナジャフ県で抗議活動を過激化させ、イラク首相のアーディル・アブドゥルマフディーを辞任に追い込んだからでもない。

もちろんこれらすべてが『革命』の大きな成果であり、勝利への道につながる成果であることに疑いはない。

ただ、11月29日(金)は、また別の理由で歴史的な一日である。『革命』は、ファルージャやラマーディー、ヒート、ティクリートなどのスンナ派地域の都市にも伝播した。これらの都市はこれまで、バグダードや南部シーア派地域を注意して監視していたものの、直接『革命』には参加していなかった。

この二か月間、イラクの『革命』は、ほぼシーア派地域に限定されていた。シーア派の下、(その地域の)イラク市民は各地で『革命』を行い、腐敗政治や宗派支配に対する抗議に立ち上がった。宗派支配は法学者の統治体制(ヴィラーヤテ・ファキーフ)に基づく制度で、その軍事システムや民兵組織の調整は(コドス部隊の)ガーセム・ソレイマーニー司令官が管理していた。
バグダードでも、『革命者たち』の大半は、シーア派層やシーア派地区出身者だった。一方、スンナ派層の若者の参加は少なかった。


(後略)

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(翻訳者:難波奈央)
(記事ID:48179)