マケドニア:ドキュメンタリー映画『ハニーランド-永遠の谷』はハティージェにオスカーをもたらすか?
2020年01月22日付 Hurriyet 紙


「最優秀外国語映画賞」と「最優秀ドキュメンタリー映画」のカテゴリーにおいてオスカー各賞の候補に選ばれている北マケドニア共和国制作の『ハニーランド』の主役であるハティージェ・ムラトヴァ氏は、オスカーを獲得するであろうと信じている。マケドニアのシュティプという町の近くにあるベキルリ村に暮らす映画『ハニーランド』の主役であるハティージェ・ムラトヴァ氏はサンダンス国際映画祭で獲得した3つの賞と二つの部門でオスカー候補にノミネートされたのちに、映画のクリューからプレゼントされた更に中心地にある新居での慎ましやかな暮らしを続けている。

■制作者たちはハティージェを選んだ

映画の撮影が行われた歴史の古いベキリルから中心地に向かって歩いて3~4時間で到達できるトルコ生まれのムラトヴァ氏は、ドルフッル村の新しい家からここまでの距離が縮んだことに喜びを感じている。「ヨルク(トルコ系遊牧民)」の代わりに自分自身に対しては「古いトルコ人」と呼ばれることを好むムラトヴァ氏は、映画が非常に多くの成功を収めたのちに手にした新しい家でさらに居心地のよい生活を送れることを願っている。ムラトヴァ氏は、映画に描かれることとなった物語を、オスカーの候補にノミネートされることと将来に関しての様々な夢を伝えてくれた。

映画の制作者たちが、岩場でいくつものハチの巣を見かけたということと、これらが一体何なのだろうかということを周囲に尋ねまわったと話したムラトヴァ氏は、製作者たちが映画を撮影することを決定したのちに様々な人をあたって、面談をした何人かがこの仕事を行うことができないとわかり自分にコンタクトを取ってきたと説明した。

■新しい家を買ってくれた

映画で役を演じたことを「祈りが届いた」と解釈したムラトヴァ氏は、「バイラムで私は願い事をしたのです。」「あぁ神様、私には悩み事があります。どうか私のところにやってきて扉が開き、私の悩みがなくなってしまいますように」といったのです。3日もたたないうちでした。ラマザン・バイラムの時だったのです。ちょっと目を向けてみました、彼らはドアを開けたのです。私はとても驚きました。」という表現を用いた。ムラトヴァさんは、兄が彼女に対して「蜂について語るように」と言ったと語り、そのあとで数多くの楽しい時間を共有した映画の冒険が始まったのだと語った。

蜂たちと蜂蜜に対しての愛情は幼少期に培われた、と強調するムラトヴァ氏は、金銭的な問題のために家族は蜂蜜を買うことができなかったと話した。ムラトヴァ氏は、父親が一キロの蜂蜜を買ってきても兄弟たちと分け合ったので、あまりたくさんは食べられなかったと語り、蜂蜜づくりを学ぶということをまだ幼いころに兄弟たちに伝えていたと話した。撮影を始めたばかりのころは不安を感じ、また恥ずかしくも感じて、最初の二か月間は非常に困難を感じたと語るムラトヴァ氏は、ある時期からはカメラにもなれるようになり時間の経過とともに成功を確信するようになったと話している。ムラトヴァ氏は、映画のクリューがもし成功すれば家を購入してくれるということを約束してくれたということを引き合いに出して、もう自分のための新しい家で、新しい生活を始めていると強調した。

■あなたとそして私に
ドキュメンタリー映画において最も記憶に残り多くの人に深い感慨をもたらしたハチたちに対して蜂蜜の半分を残すこと関して語り、「あなたと私に、半分はあなたに半分は私に」という決め台詞の瞬間についても語ったムラトヴァ氏は、以下のように語った。
「私はこのことを自分の経験上知っているのです。誰も私に教えてはくれませんでした。私がどう私の冬のことを考えたとしても、この冬の分は十分なのだからお腹をすかせることはないだろうと、小麦と塩を自分の分をとっておいても、彼ら(蜂たち)にも同じ形でスプーン一杯分とっておいておかなければなりません。」


ムラトヴァ氏は、映画でも描かれているように母親が亡くなった直前に具合を悪くしていたと話し、映画のクリューが彼女とそして母親にいつもとても気を配ってくれたということと、各種の薬を欠かさないようにしてくれたと話した。母親ははじめ天候のために風邪をひいたのだと思ったがそののちに日を追うごとに衰えていくのを目の当たりにしたと説明するムラトヴァ氏は、「母は私に、『娘よこの冬は厳しいことになりそうだよ。』と言ったのです。私も母に、「カッコウ(の鳥)がまた春にはさえずるはずよ、冬は乗り越えられるはずです。体調は回復しますよ。」というふうに言いました。ムラトヴァ氏の母の死は、『ハニーランド』の映画の一場面でも描かれている。

■まるで私は鳥のように羽ばたいています

映画のお陰で夢にみることさえなかった国々を見物し、観光する機会が出来たと話すムラトヴァ氏は、「映画の後で私の人生は変わりました。とりわけ、彼らが私に家を買ってくれると私の人生は大きく変わりました。神様、どんな人もいかなる時も家のない状態にさせることがありませんように。」と語った。ムラトヴァ氏は、映画が新しい様々な成功に邂逅することを願い、さらに自分に対してどのように手助けをしてくれたとしても、この先彼女自身が他の人々に手を差し伸べるだろうと話した。二つのカテゴリーで候補となったオスカーの各賞にも言及をしたムラトヴァ氏は、オスカーを獲得することを願っていると語った。

国際的な様々な招待の後に初めて飛行機に搭乗し、スイスを訪れたと語るムラトヴァ氏は、初めての飛行機旅行について以下のように語った。「大喜びで旅立ちました。まるで鳥が羽ばたくような気分で乗り込んだのです。『怖くはなかったのですか?』と尋ねられれば『どうして怖がることがありますでしょう?』と言いました。「地上で死ぬのか、もしくは空の上で死ぬのかは、神さまだけがご存じです。」ムラトヴァ氏は、トルコには母方と父方の数多くの親戚が暮らしていると語った。


■エルドアン大統領にメッセージ
トルコ共和国大統領レジェップ・タイイプ・エルドアン大統領へも、挨拶と敬意を表す言葉を伝えたムラトヴァ氏は、新しく引っ越した村にモスクが建設されるようにと要請した。ムラトヴァ氏は、「トルコ人住居は30戸となりました。私たちのジャーミーも必要なはずです。そうではありませんか?ムスリムたちの信仰を知ることとなりますように。明日、もしくは次の日には、もうこの世にはいないかもわかりません。彼らはお祈りのやり方でさえ分からないのです。私ならお祈りのやり方は、少しばかりなら分かります。小さい子供に聞いてみてごらんなさい、お祈りのやり方を知らないはずです。」という表現を用いた。自身をコンヤ出身の「古い血筋のトルコ人」とみなしているムラトヴァ氏は、取材も最後にはルメリのトルコ民謡を歌って終えた。



■数多くの賞を獲得した映画

北マケドニア共和国制作のドキュメンタリー映画『ハニーランド』は、マルハナバチの養蜂によって生計を立てているヨーロッパにおける最後の女性である50歳の「ハティージェ」というキャラクターを通して、環境と天然資源の利用を取り上げている。作品は、自然のサイクルへ貢献する養蜂の重要さを強調している。映画は、アメリカ合衆国のユタ州で開催されるサンダンス映画祭において「国際ドキュメンタリー映画」部門において審査員特別賞を獲得し、映画の監督を務めたリュボミール・ステファノフ氏とタマラ・コテフスカ氏が審査員大賞へ、映像班のうちフェミ・ダウト氏とサミール・ルマ氏も審査員特別賞を受賞した。スイス開発協力機構とマケドニア映画エージェントの協力によって環境保護プログラムの指針の下で撮影された映画では、ハティージェ・ムラトヴァ氏、ナズィーフェ・ムラトヴァ氏、ヒュセイン・サム氏、リュトゥヴィイェ・サム氏とムスタファ・サム氏が参加した。

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:48534 )