哲学思想が文学に与える影響(4)
2020年04月30日付 al-Quds al-Arabi 紙
哲学思想と文学におけるその影響(4)
【本紙:ムスタファー・ルガティーリー】
以上のことからファドワーは、哲学は常に文学を補完し、文学は全力で自身の哲学を明確に表現していると結論付けた。一方、ハビーバ・ハイムーシュはこう述べている。「自分が学生の頃に聞いた批評家ブーヒマーラ氏の講義を覚えている。当時、彼女は彼の学生で、講義はこれらと同じテーマを扱っていた。これらのテーマに関する限り、文学が哲学、特に不条理哲学の様々な潮流の影響を受けていることを否定できない。この影響は異なる分野の多くの作品で具現化され、反映されている。」彼女はその例として、戯曲『ゴドーを待ちながら』を書いたサミュエル・ベケットをあげている。この作品は、直ちに、同じ哲学に影響を受け、戯曲『木に登る人ものよ』を書いたアラブ人作家、タウフィーク・ハキームを想起させる。この戯曲は不合理文学、あるいは不条文学に分類することができる。
女学生のニハード・シャバーブさんは、その証拠を「哲学と文学は2つの点で交わっている。1つは、様々な問題を追求し、解決しようとすることである。もう1つは、人間の精神的な悲しみや熱情を癒す内なるものを表現することである」と結論付けている。もし洗練された文体の著名な文学的哲学者を上げるなら、ハニードさんは、ドストエフスキーがその代表だとみなしている。彼の小説『地下室の手記』には、自分自身にとっても、そして他人にとっても卑しむべき悪人の哲学が描かれている。つまり、文学的で洗練された文体で、彼の悲しみや厳密な実証主義を表現した、厳格な純粋哲学なのである。
さて、ドストエフスキーが描く人間悲劇は、モロッコ人作家サラーフ・ワディーウの小説『花婿』の苦渋と似ている。この作品は彼の刑務所での経験からインスピレーションを受けて書かれたもので、拷問や、人権軽視に対する闘争的な彼の哲学を文学的なことばで描かれたメッセージで表現している。
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( 翻訳者:藤原路成 )
( 記事ID:49028 )