トルコ映画:ファイサル・ソイサル氏の最新作『クルミの木』がカンヌ国際映画祭でオンライン上映
2020年06月26日付 Yeni Safak 紙
監督をファイサル・ソイサル氏が務め、セルダル・オルチン氏、セジン・アクバシュオールラル氏、キュブラ・キプ氏、メルト・ヤヴズジャン氏が演じた『クルミの木(英題:Silenced Tree)』が、歴史上初めてオンライン開催されたカンヌ映画祭において鑑賞された。新型
コロナウイルス( Covid -19)パンデミックのために、今年はコンペが開催されない予定のフェスティバルでは、60ヵ国から参加した映画作品の数々が『カンヌ・オンライン』というタイトルで開催されるマーケットにおいて映画ファンたちと邂逅している。
カンヌ映画祭では、トルコからは二作のドキュメンタリー、二作のフィクションの計4作品が上映されている。ドキュメンタリーのカテゴリーではペリン・エスメル氏の『クイーン・リア(Kraliçe Lear)』そしてクブルジュム・アカイ氏の『アニマ(Amina)』という映画作品が含まれている中で、フィクションのカテゴリーではファイサル・ソイサル氏の『クルミの木』とアリ・アイドゥン氏の『クロノロジー(Kronoloji)』という映画作品が含まれている。
■「Covid -19は映画セクターにも影響を与えた」
カンヌ映画祭がオンラインであることは、オルタナティブな可能性の数々も提供した、と述べている監督のファイサル・ソイサル氏は、『クルミの木』がカンヌにおいて上映されることに関して以下のように語った。
「『クルミの木』は、まず初めに国際的な規模のものとして最大の映画マーケットの一つであるベルリン・ヨーロピアン・フィルム・マーケットにて上映された後で、現在またカンヌ映画マーケットにおいて上映されました。そこで上映を行うことは勿論のこと大きなアドバンテージなのです。もう一方で問題なのは、世界中からこれ程の映画作品が参加をしているにも関わらず、人々が関心を持たなかった、そして正しい計画を行わなかった時に行われる上映会のことに関しては、誰一人として報道をしないということです。」
■歴史上初めてカンヌ映画祭が3日間延期された
ソイサル氏によれば、「Covid -19は映画セクターにもまた影響を与えました。なぜならば#EvdeKal(ステイ・ホーム)の呼びかけに反応した人々は、より映画を鑑賞する事に対して多くの時間を割くようになり、マーケットにおける上映の関心もまた増大したのです。この状況によってカンヌ映画祭にて史上初めてマーケットの流れが3日間、更に延長されることをもたらしたのです。通常であれば6月22-26日の形で計画される映画祭は、6月29日まで延期されました。」
『ニューノーマル』と名付けられた期間は、各映画作品のマーケティング、紹介、配給そして制作プロセスにもまた影響をもたらすことだろう。「今後、果たして私たちは映画館について語ることができるのでしょうか?もはや私たちは確信を持つことができません。」と語っているソイサル氏は、各映画祭のこの伝統を更にもう暫く継続させるだろうと語った。援助そしてスポンサーが見つけられなかった場合にはそれらも、オンラインそして距離が保たれた状態での関係を待ち望んでいると述べた。
■「私は映画を詩のように読んでいます。」
文学の深淵さと映画批評家たちの好みについての言及がなされる『クルミの木』は、『三つの道』という映画作品の後の、ソイサル氏の二作目となる長編映画作品である。
映画をまるで詩のようにして読んだと表現するソイサル氏は、映画を理性的な原因-結果という関係性の上で構築をしなかったということ、そして流れにのって物語る代わりに詩のように自由であり、そして婉曲的な語りの言語を好んだと述べている。彼によれば、プローズのスタイルはその逆を実際に実現しているものだが、詩はその他の感情の連想を、共感や純化をあなたの意識にとくに上ることなく、あなたに経験をさせる世界を有しているのです・・・
『三つの道』そして『クルミの木』といった映画作品においても詩的で、そして芸術的な世界と並行して社会生活についての様々な解釈や感情の動きがあると述べたソイサル氏は、その言葉を以下のように続けた。「しかしながらこの解釈や感動は、いかなる時も直接的なものではありえません。芸術家たちは、彼らが生きている地理、歴史から、様々な問題から独立した立場では生きられないために、それが彼の性質やそして世界観に基づいていたものであるのは勿論のことですが、社会問題の数々がその作品の中で位置を占めることになるのです。これらは、形而上学的そして存在論的証明と私たちが言うことが出来る核心的な問題の周囲にいる時には更に大きな意味を持つことになるのです。」
■映画では女性殺人事件の数々に強調が行われている
映画『三つの道』のブンヤミンは、体の痛みを癒し、その存在に意味を付随させるためにボスナの行方不明者たちそして集団墓地を探求しようと向かった後に、故郷であるバトゥマンの女性殺人事件の数々、そしてハサンケイフが水面下に沈められるといった様々な社会問題の周囲を巡る運命となる。ハケザ氏は、『クルミの木』の映画において近年その数が次第に増えている女性が殺害される事件、女性に対しての暴行そしてクーデターの時期に沈黙した/沈黙せざるを得なくなった人々の内面の問題を中心に据えて、自分自身の存在と生活を送り続けることを本質的な問題を抱えている、とある文学教師が社会のために全ての殺人事件を犯してしまう様を取り上げている・・・」
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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:49432 )