レバノン:シリア語を話すあのムスリムの町(3)
2020年07月04日付 al-Mudun 紙

■シリア語を話すあのムスリムの町(3)

【レバノン:ムハンマド・ハッジーリー】

(2)の続き

我々が住民の語彙調査を行うために訪れたレアノンの町々では、多くの単語が、それこそ村の名前から発音方法、複数形の変形方法までもが、シリア語起源であったことを指摘しておこう。これは、シリア語の話者が減少する前は、この言語が域内で広く使われていたことを示している。

先ほどのシリア人労働者は、私に「俺らは子供のころから日常生活ではシリア語を話して、公教育ではアラビア語を習うんだ」と言った。私は彼に尋ねた、この言語のせいで「ウルーバ*」を強調するバアス党政権が、あんたたちと対立してはいないのか、と。彼は「いや…バアス党政権は俺らの言語が喜ばしいものだと思っているようだ」と彼は言った…。また、私はクルド人が言語のせいで弾圧されていたことを彼に思い出させたが、彼は「俺らはその逆だ」と言った…。しかし、アサドの弾圧やその野蛮さの両方が他の場所で発揮されている。アサドはサルハやバフアの町を樽爆弾で破壊し、町の住民や子供達は逃亡したり、立退いたり、難民キャンプに移ったりして、誰一人として町への帰還を許されなかったのだ…。

ムスリムが日常語としてシリア語を話すこと、これは中東の人々が背負っている多様なアイデンティティがあることを示唆している。スペインやモロッコのアラブ人においてもそれは同様である。。なお、こういったアイデンティティを確認するには、アラブ系のモリスコ**やレオ・アフリカヌス***、ユダヤ系、トルコ系、スーフィーについて書かれた小説を読めばいいだろう。これらの小説の登場人物は、それぞれのバックグラウンドや所属、言語を内包しており、文化の侵害や侵略、征服を明らかにしている。

エリヤース・フーリーは、『ヤールー』というタイトルのシリア正教徒と彼らの言語に関する小説を書いた。「ヤールー」とはダニエルの名の略称である。この小説で特筆すべき点は言語の死である。シリア正教の司祭で、シリア語で話し、礼拝をするヤールーの祖父は、言語の死を恐れていた。彼の意見は「言語の死こそ最も深刻な死である」というものであった。この言葉は、アラブ人が哲学の言葉であったシリア語からギリシャ哲学を翻訳したことと共に思い出されるのだ。


*ウルーバ:アラブ性、アラブらしさのこと。
**モリスコ:イベリア半島でレコンキスタが行われていた時代に、カトリックに改宗したムスリムのこと。
***レオ・アフリカヌス:16世紀に活躍したアラブの旅行家・地理学者で、本名はハッサン・ワッザーン。スペインのグラナダで生まれ、16世紀初めにサハラの南を含む北アフリカ全域を旅しアフリカ誌』を著した。この著作は長い間、当時ヨーロッパ人がイスラーム圏のアフリカを知るための最も貴重な手掛りであった。

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( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:49502 )