なぜイランのテレビ局は60年代に日本の連続ドラマを放映していたのか 『おしん』と『はね駒』の読み取るべきポイント
2020年06月11日付 Hamshahri 紙
イランの1360年代[※訳注1]は日本の映画やドラマが輝きを放った時代だった。イランのテレビ局は日本が制作した有名な連続テレビドラマを数多く購入し、放映した。その中で、原題『おしん』の『家を離れての年月』と、原題『はね駒』[原文では“はにこ”と表記]の『人生物語』は、他のどのドラマよりも多くのテレビ視聴者を魅了した。
【ハムシャフリー電子版】ホラーサーン紙によると、興味深い点は、どちらのドラマのストーリーも日本の歴史のほぼ一つのある時代を描いたことである。その時代とは、この国が古い衣を脱ぎ捨て、産業国へ、そしてその後植民地主義国へと変貌した、浮き沈みの激しい時代であった。当記事で我われが試みるのは、この歴史の読み直しと、この二つの愛されたドラマの中で描かれている出来事について語ることである。つまり、『家を離れての年月』と『人生物語』は日本の歴史上どの段階を物語っているのかという問いに対する答えである。
・三つの歴史的局面、伝統とモダニズムの論争
この二つのドラマの主人公であるおしんと“はにこ”[※訳注2]の人生の様々な局面は日本の三つの時代と時を同じくする。(その三つの時代とは)西暦1868年から1912年(ヒジュラ太陽暦1247年から1291年)の明治時代、西暦1912年から1926年(ヒジュラ太陽暦1291年から1305年)の大正時代、西暦1926年から1989年(ヒジュラ太陽暦1305年から1368年)の昭和時代である。この三つの時代区分では、順に明治天皇、大正天皇、そして裕仁天皇が天皇であられた。明治時代はアメリカによる1850年(太陽暦1229年)の東京近郊江戸湾への攻撃[原文ママ]、そして閉門[閉鎖的な]政策、つまり鎖国を終わらせるよう日本に迫った後に始まる時代である。天皇は日本のあらゆる領域で統治体制を伝統型から西洋型に変えることを決め、この方針はこの国の人々に重圧を与えた。侍たちは抑えつけられ、政治的活動は伝統を捨て新しい服装と作法を受け入れる場合のみ可能であった。
・二つの時代の中で押しつぶされた世代
“はにこ”の父と祖父(橘弘次郎とのぼる[原作では徳右衛門])は、明治時代とその後の大正時代に支配的だったモダニズム体制に妥協できず鎮圧された侍の中の二人だった。彼らは、たとえ昭和時代に日本社会から見放された流浪人と変わろうとも、およそ晩年までその生き方に誠実であった。ドラマ『おしん』は明治時代を、国家の行政構造の変化と封建主義から資本主義への移行の時代として描いている。おしんは、変化を受け入れ、新しい生活様式や、機械文明を象徴する新たな事物、新しい慣習への馴化に目を向ける人たちの明確な象徴そのものである。しかし、彼女の人生からうかがえることは、第一に、封建的な構造が彼女とその家族に強いた貧困と苦難である。次に、資本主義体制に逃れたことで巻き込まれることになった数多くの経済的・情緒的危機である。これら二つの問題は、確実に明治、大正という日本史上の二つの時代に社会の周縁部で起こったことである。実際、これら二つのドラマは、新しい日本の誕生とこの国における資本主義の成長の陰で、どれほど多くの差別と困難がこの国の人々に降りかかったのか、そして日本の下層階級の人々が国の発展のために支払った代償がいかに重かったかを描いている。
・植民地主義的軍国主義者の時代の反映
おしんと“はにこ”の時代におけるもう一つの歴史的特徴は、日本の軍事指導者の権力獲得とこの国が植民地主義国へと変わったことだ。日本人は1920年代初期(ヒジュラ太陽暦1290年代後期)、自らの植民地主義の勢力を東アジアに伸ばし始め、中国の東の満州を占領した。この占領は第二次世界大戦中まで続いた。どちらのドラマでも、こうした状況の様子がうかがわれる。“はにこ”の兄(橘喜助)は撮影技師として第二次世界大戦に参加し殺された。おしんの長男(田倉たけし[原作では雄])もまた同じ戦争の戦死者とみなされる。この時代は、日本で人種差別と人種主義が狂ったように拡大した時代である。日本の軍国主義者たちはドイツ人のように、自分たちは世界のどの民族よりも優れていると考え、幼い時から学校で戦い方と人種差別的教理を子どもたちに教えていた時代である。実際、この時代を日本の新たな軍人たちが侍魂を結晶化させた時代とみなすことができる。“はにこ”の祖父(橘のぼる)は、人々が彼の好む古い服装や作法を真剣には受け止めなかったにもかかわらず、自身の時間を子どもたちに侍の技芸を教えて過ごした。この軍国主義の反映は、おしんの夫(田倉竜三)が軍需工場建設のために奮闘したことと、その後戦争末期に工場が空襲を受けたことで自殺したことによく見てとることができる。
二つのドラマの終盤はいずれも、昭和時代、つまり裕仁天皇の時代を描いている。日本が第二次世界大戦に敗北し、米軍の兵士がこの国を闊歩するようになった時代だ。ダグラス・マッカーサー司令官のもとでのアメリカ軍の配備は、日本文化の中で完全に西洋的なアプローチが採られるようになるための第一歩だった。言い換えれば、多くの日本人がこの時期以降、自身の過去とのつながりを断絶し、その先人たちとは異なる様式を選んだ。その局面を、おしんの晩年、及び子どもたち、孫たちの互いの行動様式に良く見てとることができる。
[訳注]
*1ヒジュラ太陽暦1360年代、西暦1980年代。イラン・イラク戦争の時期にあたる。
*2原作の主人公の名前は “りん” であり “はね駒” はあだ名であるが、本文では “はにこ” が主人公の名前として使われている。
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( 翻訳者:OK )
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