1980年クーデターから40年―9月12日事件とはなんだったのか
2020年09月12日付 Hurriyet 紙
民主主義の歴史に暗い影を落とした1980年9月12日のクーデターから40年になる。65万人の逮捕、21万件の訴訟、50件の死刑、規制、追放…。
TRTラジオにて9月12日の朝、国歌の後に陸軍軍学校歌が流され、ケナン・エブレン参謀総長(当時)が署名した国家安全保障評議会の「第一」通知が読み上げられ、民主主義向けられたクーデターが正式に宣言された。
クーデターの首謀者たちは、ケナン・エブレン参謀総長、ヌーレッティン・エルシン陸軍司令官、タフシン・シャヒンカヤ空軍司令官、ネジャト・トュメル海軍司令官、セダト・ジェラスン憲兵隊総司令官らであった。彼らは国家安全保障評議会を構成し、全権限を握った。憲法を無効としたのちトルコ大国民議会を廃止した。
また、クーデターの首謀者たちは、政党の活動を禁止し、スレイマン・デミレル及びビュレント・エジェヴィトをハムザコイへ、ネジメッティン・エルバカン及びアルパルスラン・テュルケシュをウズナダ島へ追放した。
65万人の逮捕、21万件の訴訟、裁判にかけられた人の数は23万人にも登り、そのうち7000人以上が死刑が求刑された。
1万4000人がトルコ国籍を剥奪され、また約10万人の人が「組織の一員」であるという容疑で裁判にかけれ、3万人が「要注意人物との容疑」で解雇された。
検閲によりおよそ1000本の映画作品が放映禁止となり、4千人にものぼる教員及び多数の大学職員らが職を解かれた。
クーデターの中心であったケナン・エブレンとタフシン・シャヒンカヤを相手取って訴訟が起こされたが、彼らの死によって訴えは取り下げられ、その後破棄された。
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( 翻訳者:田辺清鼓 )
( 記事ID:49880 )