ギョルヤズ、ヨーロッパの美しい村30に選出、その魅力
2020年09月26日付 Hurriyet 紙


ブルサは、エヴリヤ・チェレビが「霊魂の街」と呼び、初めての旅で行った場所である。中でもニリュフェル区にあるギョルヤズは、ヨーロッパで最も美しい町の一つに数えられている。約2600年前に人々が住み始めたこの村は、週末に静かな休暇を過ごしたい人々が集まる場所だ。

ギョルヤズは小さな所である。ブルサのニリュフェル区に所在するこの村は、歴史的な名前がアポリオントである、ウルアバット湖の内側にある半島と島で存続している。村の歴史は紀元前にさかのぼる。これは、平穏な週末のためのギョルヤズ旅行ガイドである。

文化観光省とブルサのニリュフェル区が中心となり続けられている発掘で発見された出土品によると、ギョルヤズでは、およそ2,600年前から人々の生活が始まった。ギョルヤズは、他に類を見ない自然の美しさによって関心を集めている。

雨の多い時期には湖の水位が高くなり、家々の前まで水が来るので、この村は「小ベネチア」と名付けられている。村は、日本旅行業協会(JATA)によるヨーロッパの最も美しい30の村のリストに、トルコから唯一目的地として名を連ねている。

半島の上に建てられた地区は、春と夏にはより多くの訪問客が集まる。だが、冬にも素晴らしい景色を見せてくれる。ギョルヤズに来た訪問客たちは、要望に応じて漁師のボートもしくは王朝時代のボートで遊覧をすることができる。

■ギョルヤズでは何をするべきか?

漁師の船による島のツアー
ギリシャ様式の家とトルコ様式の家が一緒にある島で、モスクの前を起点に一周することができる。
視界の先に湖の景色が見える通りをさまよいながら過ごすことのできる午後の時間があなたを待っている。1890年のギリシャとの住民交換前にギリシャ人によって建てられたものの、未完成のままとなっている教会の骨組みも、訪れるべき場所の1つだ。
 
■泣いているプラタナス

村での湖の景色で最も満足がいく場所は、生物学者のメフメト・オカタンが2年間の努力の末に道路当局を説得し、国際記念樹の案内を併せ持つ「泣いているプラタナス」の看板を取り付けてもらうことに成功した木の、400平方メートルにも及ぶ木陰である。

■それでは、ギョルヤズまで来てから、ブルサでは他に何を見るべきか?

エヴリヤ・チェレビが「霊魂の街」と述べ、初めての旅で行った場所であるブルサ…
どの季節に来たとしても行って頂きたい。あなたをきっと最も美しい特徴で手を差し伸べ迎えてくれるだろう。さて、ギョルヤズ以外の他の選択肢はこちら。

■神秘の大モスク

バヤズィト1世によって建築が命じられた大モスクは、その優れた職人技と壮大なたたずまいでしっかりと立っている。オスマン帝国の歴史の初期の建築の例の一つであるモスクは、街の宗教的アイデンティティの最も重要な部分の1つである。

モスクで注意をひく最も重要な神秘の筆頭は、“و(vav)”というアラビア文字である。vavの文字の先端にはチューリップのモチーフが見られる。また、vavの文字の前には、その昔、聖フズルが説教を行ったと言われる場所がある。簡単にいう必要があるなら、人々をリラックスさせるここの精神的な雰囲気は人々に平和と幸福の両方を与える。

■陶磁器の街:イズニク

ブルサへ来たときには、歴史上重要な場所と並んで、イズニクを見ないというわけにはいかない。もしある場所がイスタンブルに近く、そして心に安らぎを与えてくれる湖のほとりに位置し、かつ壮大な歴史があるとしたら、訪問客が大挙して来ると予想されるだろう。 だが、まったく逆のことが起こっており、国内の観光客も外国人観光客もほとんどがこの場所を見逃している。イズニクに近づくと、周囲の城壁のおかげで、イスタンブルのミニチュアに到着しているように感じるだろう。ビザンツ、アナトリアのセルジューク朝のような強力な国家が支配してきたイズニクは、至る所で歴史の匂いが感じられる。

街の中心部へ到着したら、アヤ・ソフィアを見る前にこの街を決して立ち去らないで頂きたい。さて、イズニクといえば最初に思い浮かぶものである、タイルの話をしないというわけにはいかない。イズニク・タイルのみでは人々が暮らしていくことができないので、多くの店ではセラミックも販売している。イズニックに来たときには、陶磁器を買わずには決して帰らないで欲しい。

■コザハン

歴史的な大モスクへ近い位置にあるコザハンは街の最も重要な隊商宿の一つである。カイコの繭の取引が行われたことにちなんで名付けられたこの隊商宿は、ブルサが繊維産業の中心都市であった理由を示す最も重要な存在の1つである。コザハンでは、ブルサ特有の地元の商品を購入したり、ここにある場所で充実した時間を過ごしたりできる。

■オスマン時代からの歴史の村:ジュマルクズク

ウルダー(山)の麓にある、狭い通りや本来の風合いを失わない本物の家、そして村の空気感を保った雰囲気を持つジュマルクズクは、ブルサの伝説のうち説明し切れないものの1つである。700年間の神秘的な歴史、オスマン帝国時代からの建物、天然資源、お祭りや生活によって、この町は歴史の美しさ、そして自然の美しさの間にある。

加えて世界で最も狭い通りはこの村にある。ジュマルクズクの設立の歴史は、UNESCO世界文化遺産のリストにも記載されているが、1300年代までさかのぼることが知られている。オスマン時代の初期の民間の建築の例を保つこの村は、ウルダー周辺に7つ設立された「乙女の」村の1つである。 当時は、「乙女」という言葉は、山麓に設立された村を表すために使用されていた。これらの村のうちジュマルクズク、ハマムルクズク、デレクズク、フィドイェクズク、デイルメンリクズクの5つの村は今日も現存する。これらの村のうち、元の構造を保持しているものといえば、ジュマルクズク村である。

■上に店がある橋:ウルガンドゥ

世界で4つしか同類のない、ウルガンドゥ橋の上には4軒の店がある。1922年、ギリシャ人が街を放棄した際の砲撃により、橋の上にあった店は完全に破壊された。
橋はその後1949年に修復された。一方、店の方は2004年にオスマン・ガーズィー市により修復され、今日の姿になった。橋の中にあり、互いに一つ一つ異なる伝統的な手工業品が見られる店では、楽しく時間を過ごすことができる。

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( 翻訳者:宮崎友裕 )
( 記事ID:49932 )