イスタンブル市長、クルド語劇上演禁止に反発
2020年10月14日付 Cumhuriyet 紙


イスタンブル市営劇場で上演予定のダリオ・フォ氏の『顔なし(Yüzsüz)』という演劇のクルド語版への翻案が禁止となり、イスタンブル市長エクレム・イマム―ル氏の反発を買った。イマムオール市長は、「国際手配によって捜索されている、あるテロ組織のメンバーがテレビに出て発表を行うのは自由。クルド語を解する市民の皆様が来場して鑑賞できる演劇の上演するのは、禁止、罪であると。」と話した。

イスタンブル広域市市長は、コロナウイルスの大流行のために収入を絶たれた経営者たちを支援を与する目的で、市に属する市民劇場の数々のステージを10月に民間の劇団に開放した。

この一環で「シアター・ジヤナ・ヌ」(新たな生の劇場)でダリオ・フォ氏の『顔なし(Yüzsüz)』という演劇を、『ベル(Beru)』というタイトルでクルド語で10月13日にガーズィオスマンパシャ地区のステージで上演する予定である。しかし郡知事府は、ステージが開幕する僅か数時間前に上演が禁止されたことを役者たちに伝えた。

イスタンブル県知事府は、演劇がクルド語であるという理由ではなく、テロ組織のプロパガンダが行われうるとの理由で禁止されたと伝えた。

新聞記者らは、都市開発への最も悲惨な例の一つであるフィキルテペで検分をおこなっているイスタンブル広域市市長に、この問題に関して見解を求めた。

■オスマン・オジャラン氏に触れる

市長は、世界的に著名なイタリア人作家ダリオ・フォ氏の演劇は以前に国立劇場でも上演されたとし、この質問に対して 「国際手配によって捜索されているテロ組織のメンバー[アブドッラー・オジャランの弟オスマン・オジャランのこと]がテレビに出て発表するのは自由。クルド語を解する我が市民が、足を運んで鑑賞することのできる演劇を上演するのは、禁止、罪であると。このようなことはあり得ない。国の物の考え方、国を司る人たちが明るみにしたのはこうしたものなのです。これほど安っぽい口実、実効性や根拠のない言い逃れを作り出すことはありえません。そうした物の考え方は、適切で、理性的で、法律に適う形で振る舞ったり、理性を作り出し[改める]必要のあるものです。」と返答した。

「パンデミックが起きたために各劇場が閉鎖されていました。あなた方も私営劇団を支援する目的で様々なプロジェクトを展開しました。ガーズィオスマンパシャでのクルド語演劇に対して、郡知事府が禁止令を下しました。県知事府も『PKK(クルディスタン労働者党:非合法)のプロパガンダが行われている。』と発表しました。ことの真相は何なのか?」という質問に対して、市長は以下のように返答した。

「勿論、このことを知っています。私は広域市の市長なのです。いくつかの決定を下す際に、勿論、これらは議題となりました。私たちが言及したのは何でしょうか?クルド語の演劇です。劇場での上演作品です。つまりは私たち市民が求め、もしくはこの種のグループが存在する我が国で、クルド語の劇を上演するということなのです。次のこともお伝えしましょうか?国際手配によって捜索されているテロ組織のメンバーがテレビに出演して発表するのは、自由。全くお咎めなし。しかしクルド語の劇を演じるあるグループが -しかも何回にもわたって演じてきたという- クルド語を解する我が市民が足を運んで鑑賞する演劇を上演するのは、罪になると。このようなことはありえない。国の物の考え方、国を司る人たちが明るみにしたのはこうしたものなのです。これほど安っぽい口実、実効性や根拠のない言い逃れを作り出すことはありえません。そうした物の考え方は、適切で、理性的で、法律に適う形で振る舞ったり、理性を作り出し[改める]必要のあるものです。とても悲しいです、このような事態をみると気分が塞がります。」

■「今日まで私たちはどこにいたのでしょうか?」

「お考えにもなってみてください、この国の大きな力を持つ[内務省]副大臣が、1600万人の人口をもつ大きな力をもつ知事が、発表を行うのです。一体どういうことなのでしょうか、『テロ組織のプロパガンダがおこなわれるとのこと。』何しろこの人たちは、この演劇を2-30回に渡って上演したのです。イスタンブルの様々な場所で2~30回上演したのです。一体、今日まで私たちは何処にいたのでしょう?

ここに、もしもテロ犯罪が存在しているとすれば、テロ組織の犯罪があるとすれば、この事態に対し取り組むべきはあなた方なのです。治安維持部隊、行政の任務にあたる人達はあなた方の掌握下です。つまりは今、考えを読み解こうとしているのでしょうか、推測をしようとしているのでしょうか、さて一体何をおこなっているのでしょうか?捜査が行われるようです。信じてください、演劇の表現を用いれば、まったく滑稽な言い訳の最終幕なのです。もうひとつ更に付け加えましょう、同じ演目は国立劇場によって2014年に演じられたそうなのです。この演劇は、クルド語として同じグループによって最低でも2-30回は演じられたのです。3、4年間演じ続けているのです。さて、私が言っていることがお分かりになりますでしょうか?

ダリオ・フォ氏-世界文学におけるイタリア人の重要な作家です-のこの演劇は、国立劇場によって上演されたのです。トルコ語で上演されたそうです。今、ク ルド語が演じられるということなのです。一体何の違いがあるというのでしょう?その点で、まったく間違ったことが、非常に悪質な決めつけが行われたようなのです。裁判へともたらされるようです。ああ行けばいいのです。裁判で分かることでしょう、さぁ一体どうなるのか?」

「この決定の後にイスタンブル広域市(İBB)の諸々の劇場ではクルド語演劇などの文化アクティビティは催されるのでしょうか」という質問に、イマムオール市長は、「İBBは、1600万人の人口を擁す市なのです。私たちは、この都市で息づくあらゆる想い、多文化間の全てのコミュニケーションに対して環境を整える義務があるのです。その点より、私たちは、このような決定から尻込んでしまうような行政ではないのです。」と答えた。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:50024 )