トルコ映画:アンタルヤ映画祭を席捲、『幽霊たち』は女性的な映画、曲がりくねり、彩に満ちて、ハイパーアクティブ
2020年10月18日付 Milliyet 紙
第57回アンタルヤ黄金のオレンジ映画祭から最優秀映画そして最高監督賞を含む5つの賞を獲得して帰還した『幽霊たち(Hayaletler)』の監督であるアズラ・デニズ・オクヤイ氏は、フェスティバルに旋風を巻きおこした人物となった。最初の長編映画へ『幽霊たち』でその名を刻んだオクヤイ氏は、『女性たちの声を聞くことは、何人かの人々にとって難しいことなのです。私はそのことに気が付きました。』と言っている。
ワールドプレミアをおこなったヴェネツィア映画祭の批評家賞部門における大きな賞を獲得した『幽霊たち』、は第57回アンタルヤ黄金オレンジ映画祭でもまたインパクトを与えた。そして初の長編作品に『幽霊たち』で名を刻んだアズラ・デニズ・オクヤイ氏を映画界の話題の的に押し上げたのだ。アンタルヤの最優秀映画、最優秀監督、最優秀フィクション(アイリス・アルプテキン)、最優秀助演女優(カラン・クルチム)そして最高助演男優(エムラフ・オズデミル)氏をはじめとする五つの賞を獲得した映画は、4人のキャラクターたちのそれぞれに触れる人生を中心に据えている。大規模な停電が発生した一晩を扱った映画は、アンタルヤの審査員によってその勇敢さそしてインスピレーションの強調と共に賞が授与された。映画は、男性の映画人たちそして男性の物語が前面に出たトルコ映画界における変革を示唆するものであり、ダイナミックでエネルギッシュでクリエィティブな言語とともに新鮮な息吹をもたらした。『幽霊たち』の前には短編映画である「小さな黒い魚たち(Küçük Kara Balıklar)」そして短編ドキュメンタリー『スルクレ・モナムール(Sulukule Mon Amour)』によってその名を刻んだオクヤイ氏と、私たちは一堂に会し映画に関して語り合った。
■アンタルヤにおける上映の後で多くの人々が映画とそのエネルギーについて言及していました。あなたはある場では、「パンク・オペラ」と表現されましたね。あなたの映画が感じさせるものというのは、あなたにとってはパンクの反抗のエネルギーなのでしょうか?
-パンクという言葉は正確なものではありません、私は紹介のためにそう言ったのです。私たちが普段、反抗をしない女性たちを見てきたためにそう言いたかったのです。「彼女たちのために私たちが向かいます、そしてあなたのことを伝えてください。」というようなことでした。自分自身の問題に取り組んでいる女性たちを私は中心に据えたのです。バッドエンドで終わらせることなくオープンエンドのままにしておいたのです。上映の後に出た様々な批評に目を通しました。勿論必ずしも好意的に捉えられる訳ではないでしょうが、私に対してエネルギッシュな何かを行ったのであれば、それはまるで私が彼らに食べ物を提供したら、彼らは気に入らず、こんな風には作らないと言ったかのようでした。幾人かの人々にとって女性たちの声を聞くというのは難しいことでありえます、私はそのことに気が付いたのです。
■映画を執筆する時に希望のない場所からスタートされたということを読みました。それを希望とともに終えるプロセスはどのようなものだったのでしょうか?
―私は人生に関して希望を持っていません。容易いことなどどこにもありません。しかしながら私の近しい友達を、その人生でバランスを保っている人たちを登場させることは希望を与えることになるだろうと考えました。希望を与えるでしょうなぜならば、ほんのわずかしか姿が提示されないのです。皆、自分の頭の中で何かが生ることになります。それらを普通とは違った形で、ミュージカル的な形で提示してフィナーレでアクションシーンを提示することも、恐らくは行動に移すという事なのです。
■あなたはシナリオを執筆する際にどのようなダイナミズムから出発をしたのでしょうか?
―観察です。私たちの文化はハイブリッドなものですし、これは世界で最も素晴らしいものなのです。それがもたらす彩りが、違いが存在しています。曲がりくねっていて、彩りに満ちたカーペットを敷くかのようなのです。『幽霊たち』は少しばかり女性的な映画です。曲がりくねっていて、彩りに満ちていて、ハイパーアクティブ・・・そのシナリオを描く際に、ある場所を開くと新たな結び目が溢れ出してきました。私はフェミニストのプロテストを提示したいとは思っていませんが、それをカメラに収める男性の頭を撮ってやりたいのです。2012年以来、私たちのことを撮影する男たちが存在しています。この人たちは一体なんなのでしょうか、そしてどうして私たちのことを撮ろうとしているのでしょう?
彼らは一体何者で、どうして私たちのことを撮影しようとするのでしょう?
私は彼らと共感を作り上げたいのです。理解をすることが出来れば、もう少しよく生きることが出来るのでしょうか?私が言ったのはそういうことです。
■一つの和解の基盤として、という意味でしょうか?
―私は和解を見てみたいと思ったのです。トルコにおいて私たちは非常に困難な問題に取り組んでいます、そしてまたダイアローグの問題があります。ロープを一本、放り投げますね。そのロープからどこへと向かうことが出来るのでしょうか?音響と編集においてもそのロープを私は継続しているのです。
■イスタンブルは通常、かなり多くの映画においてメランコリックな感情と共に私たちの前に立ち現れます。あなたの映画においては更にカオティックであり、人生に満ちていてそして更には非常に多くの可能性を内包しているイスタンブルが存在しています。
―イスタンブルのテクスチャーはかなり変わってしまいました。私の家族も都市計画家で、そのテクスチャーがどのような経過を辿ったのかということを見てきました。ある場所を守れば、その人間も守ることができるという考えを子供のころから頭で育んできたのです。イスタンブルにおいても守ることのできる場所、そしてそのために闘いが行われている場所が存在しています。私はこれらを人類学者のように少し提示してみせたのです。この映画において私は自分のことを戦争写真家であるかのように捉えています。幾つかの写真を手に入れなければいけません、そうして戦争のことを理解することにしましょう。どの写真が前面に出るのでしょうか、私には分かりません。私は写真を4枚選んだのです、そしてこれらのそれぞれの繋がりも提示しました。現在の時そのものを私はアーカイブしたかったのです。
■撮影はどこで行われたのでしょうか?
―地区の多くが崩壊してしまったためにスルクレにも言及をおこない、スジュラルという架空の地区を作り上げました。ギュレンスそしてフィキルテペで撮影を行いました。私たちが撮影を行うと次の日には建物が崩壊したのです。そのエネルギーも、映画に反映されたのです。17日で、30地区というのは全く簡単なことではありません。30(地区)で再び撮影できるような時間はありませんでした。その前にカメラと編集について尽力してインプロビゼーションの時間を割いたのです。
■映画の舞台の日としてどうして2020年10月26日を選んだのですか?
―まだ誰も知ることのできない日付を設定することで自分自身を落ち着かせたかったのです。私たちに属することのない日付を選んだのです。そのおかげで映画において女性たちが、誰にも属していないかのように活動ができるようにもなります。ささやかな解放の場を与えることになるのです。また同時に2020年10月26日は、私が子供時代から大好きな映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の舞台ともなる日付なのです・・・
■映画においてディデム(ディライダ・ギュネシ)というキャラクターが象徴する世代についてどうお考えになっていますでしょうか?
―Z世代です。信じられないような自信に満ちています。彼らから私たちが学ぶことのできる非常に多くのことがあります。例えば、私は母親たちの世代に比べればよりリラックスをして話をすることが出来ます。なぜならその女性たちが話さなかったことそしてその理由を見たからです。例えばグレタ・トゥーンベリ氏です。この世代というのは、その思いついたことをとても成熟した形で伝えることが出来ます、私の考えではこれは全ての人たちにとっての模範となるべきです。新しくやって来た女性の世代は全ての人を恐れさせ、落ち着かせなくするでしょう。そしてこれは、良いことなのです。
■映画を17日で撮影することは困難だったのでしょうか?
―信じられないほど素晴らしくそして困難なことでした。私たちは全然資金を得なかったのです。セット上での最後の フランス系の支援金も、映画がヴェネツィア国際映画祭に選出されてから2週間後に出たのです。制作者のディレキ・アイドゥン氏もこの点において全く素晴らしかったのです、映画の予算はゼロで敢行しました。
■アンタルヤにおいて賞を獲得してインパクトを与えたことをどのように評価していますでしょうか?
-私にとってアンタルヤの結果は、黒もしくは白となるはずでした。審査員の方々が私たちのテクニックに栄光を与えてくれましたが、これは私にとって最も重要なことです。また一方で、その後から来たメッセージの数々はヴェネツィア国際映画祭でのようにまた別種の賞となりました。
■アンタルヤでの賞の評価の数々は、女性たちが成功を共有したということで総括されました。
―私が女性であるがゆえに賞を獲得したとは考えていません。その編集によって監督手腕によって賞を獲得したのです。しかしながら私が女性であるがために、私が技術手腕を発揮できなかった仕事も見てきました。ステージにおいて私の同胞の人たちが受賞をする姿を見ると言うのは世界で一番素晴らしいことでした。私たちはこのように、新しい物語を生み出していこうと思います。
■あなたの手から奪われた仕事のことについて説明して頂けますでしょうか?
―ある時に他のセクターで仕事をしている時に私が女性監督であるという理由で仕事に採用されなかったことがあったのです。大手の広告エージェンシーが「私たちは女性監督とは一緒に仕事はしません。」と言い放ったことは、ショッキングなことでした。なぜならば私の能力によってこそ評価されなければならないからです。このことが説明されることは重要です。女性として私たちは更に10倍努力しなければならず、このことをしくじることが許されないのです。
「一人の女性が普通に語ることが必要なのです」
■あなたの短編映画『スルクレ・モナムール』から『幽霊たち』にはどのようなものが持ち込まれたのでしょうか?
―あれは、実際のところビデオアートのような映画です。Vimeoにアップしてみよう、私の友人たちが鑑賞してくれるだろうと考えました。ヘリコプターの騒音とニルヴァーナのカバーが伴奏となり女性たちの体がどのように活動することが出来るのでしょうか?私が言ったのはこういう事でした。映画は、!fイスタンブル・インデペンデント映画祭のオープニングで上映されました、3日間オープンアクセスの状態でした。そこで信じられないような反応の数々を得たのです。ちょうどその時に『幽霊たち』を執筆していました。まるで水に石を投げつけて、津波のように戻ってきたかのようでした。空白の場所が存在していて、そこの埋め合わせをしたのです。一人の女性がごく普通に語る必要性があります。「幽霊たち」もこの感覚とともに造り上げました。
■映画のスパイラルを思い起こさせる編集というのは、シナリオ制作時から取り組んでいた構造なのでしょうか?
―その通りです。いくつかの角度をもつ建物がどのようなものになりえるのか、という方向性で取り組んだのです。私には建築家の一家の血も流れています。一つの構造建築において光を、異なるアングルからどのようにやってきたのかということを見ることは、私にとって非常に楽しいことです。この構造を書き表すことは非常に難しい事でした。ネジヘ・メリチ氏の一つの言葉があります。「ペンの端に言葉が降ってくる」という。執筆している時に本当に言葉には、ある溢れ出し方があるのだということに気が付きました。例えば、どれほどラシトもしくはエラを物語から出そうとしても、また戻ってきてしまうのです。私も「分かりました」と言ったのです。この構造のために編集者そして映像監督たちとともに同時に仕事をしたのです。
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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:50101 )