豊饒と恵みの象徴とされる「母神」キュベレーが、文化観光省の手で、本来の土地に帰還した。
先史時代、豊穣と恵みの象徴とされ、守護者として信仰された「母神」キュベレーの像が60年ぶりにトルコに返還された。
トルコ文化観光省はツイッターアカウントで「60年ぶりに、キュベレーがとうとうターキッシュエアラインズ(THY)で懐かしい生まれ故郷トルコに。この地の遺産の一つ一つに対し、今後も返還要求をするつもりだ」と投稿。
トルコから違法にイスラエルに持ち出され、売却されたこのキュベレー像は、専門家によれば3世紀にさかのぼり、この度、数万キロの旅を経てアメリカから故郷に到着した。
1700年前のキュベレー像は、トルコ文化観光省の尽力の結果、ターキッシュエアラインズの貨物機で無償輸送された。この作品に関してメフメット・ヌリ・エルソイ文化観光大臣が今日、発表することになっている。聖なるキュベレー像はイスタンブル考古学博物館で展示され、その後、アフィヨンカラヒサル県に新設される博物館に移る予定となっている。
■恵と豊穣の象徴
先史時代からキュベレーは、地中海沿岸部、特にアナトリア地域で恵みと豊穣の象徴、守護者であり、「母神」として信仰されていた。像の両側の二頭のライオンは、自然と動物に対する彼女の支配を象徴している。
古代の社会的、宗教的生活において、人々の過去・現在への祈りや願いに関連し、あるいは人々が信仰する神的存在を崇めるため神・女神に捧げものを供える一方で、神を崇めるために神殿や聖地に供えられた物品は、「奉納品」と位置付けられてきた。そしてその奉納品は、供える側の社会的・経済的地位に応じてシンプルな石片から立派な彫刻までさまざまだった。
歴史においては、シデロポリスのアスクレピアデスが12母神にささげた奉納像として知られるこのキュベレー像の碑文部分には、「ヘルメイオスの息子シデロポリスのアスクレピアデスが12母神に奉納した」という表現がみられる。
このキュベレー像は1970年代にトルコからイスラエルに持ち出された。類型学的な特徴や、使用されている大理石の種類、作風や碑文の情報からアナトリアに起源をもつものとして判断されている。
■イスラエルを経てアメリカに
トルコから違法に持ち出されイスラエルに渡ったローマ時代のキュベレー像は、まずイスラエル人に買い取られた。さらに国外へ持ち出されるべく、2016年に所有者がイスラエル当局に申請し、その際に像がアナトリア起源であると申告した。
その後、イスラエル当局が像の写真をトルコに転送したことをきっかけに、トルコ文化観光省が追跡作業を開始し、キュベレー像がアメリカに渡ろうとしていたところで、アナトリア起源のものであると報告した。しかし所有者はオークションハウスで像を売却しようとしており、同省が米国当局に出品が停止されるよう要請した。
像の所有者は追跡調査を受け、申告した像は正当な経路で購入し所有していると述べ、米国で訴訟を起こした。
一方、トルコ文化観光省、外務省、在ニューヨークトルコ総領事館が、キュベレー像返還を求める反対訴訟を裁判所に提出。1964年にアフィヨンカラヒサル県の道路調査で発見され、県立博物館に展示されていたコヴァルック遺跡出土品とこの像との類型的な類似性が、イスタンブル考古学博物館の専門家の科学的な報告で強調されると、法的執行機関の調整の下、アフィヨンカラヒサル博物館事務局が、像が出土したと考えられる地域に1960年から1970年代に暮らしていた住民に調査をおこなった。
照会を受けた人物の一人が、問題のキュベレー像について写真も見ずに説明できたことや、他の類似する像の写真から問題の像を選んだことが、この像がトルコで発見されたことを支持する証拠となった。証言と、入手された文書をもとに、当時、コンヤに住んでいた住民が歴史的遺物を密輸していたことがわかり、コンヤ博物館局からの起訴文書で、アフィヨンカラヒサル周辺地域での密輸行為および、同様な出土物の違法な取得に関する追加エビデンスが示された。
科学的証拠と、像が発見された年代に同地域で暮らしていた目撃者の証言、そしてアフィヨンカラヒサルでの違法取得事件の関係を示すいくつかの文書が、この比類ないキュベレー像がトルコに帰属するものであることを証明したのである。
こうしたトルコの迅速かつ詳細な追跡結果により、所有者は米国で訴訟の裁判が始まる前に、和解的な姿勢でキュベレー像をトルコに返すことに同意した。
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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:50317 )