「ヘディーヴの道」から151年:考古学者マリエットの偉大な貢献 (2)
2020年12月30日付 Al-Ahram 紙
■ピラミッド群地区に続く「ヘディーヴの道」から151年…サッカーラ砂漠での考古学者マリエットの偉業を認識
【本紙:マフムード・デスーキー】
1869年11月30日、すなわち151年前、へディーヴ(副王)・イスマーイールが「ヘディーヴのカイロ」からギザのピラミッド群地区までの(観光)道路建設を決定した。スエズ運河の開通でエジプトに集まる外国人観光客や旅行者を乗せた馬車のために、突貫工事で道路は完成した。ギザのピラミッド群までの道が舗装されたことで、考古学者や観光客の負担は軽減した。
アリー・アシュール・ジャーブリー氏は、1950年代のギザとサッカーラのピラミッド群の様子を記録した自身の旅行記で「ヘディーヴ・イスマーイールの治世にピラミッド群まで舗装された道路は、1933年に改修された。そして道路の両側には多くの家が建ち、ピラミッドの眺望を妨げるようになった。1958年、エジプト政府は道路の改修を決定し、(それでこの道路は)もっとも良い道路の一つとなった」と記している。さらに「19世紀、ピラミッド群に行く出発点は、オペラ広場だった。そこには多数の馬やロバなど運搬用の家畜が集結しており、屈強な若者たちは観光客や考古学者たちを乗せて目的地まで運ぶために家畜たちを追い立てていた」と記述している。
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( 翻訳者:山下聡一郎 )
( 記事ID:50392 )