「ヘディーヴの道」から151年:考古学者マリエットの偉大な貢献 (3)
2020年12月30日付 Al-Ahram 紙
■ピラミッド群地区に続く「ヘディーヴの道」から151年…サッカーラ砂漠での考古学者マリエットの偉業を認識
【本紙:マフムード・デスーキー】
若者たちは慣れた手つきで上手に運搬用の家畜たちやその馬具を飾り立て、それらをジョンソン、ジョージ、ジェームズ、マックス、ジャックといった愛称で呼んでいた。これらはもっぱらスタミナのある人々向けのもので、高齢者や体力に自信のない人々は馬車での移動を好んだ。馬車にもダブリン(号)、ロンドン(号)、マーク・エクスプレス(号)などの名前が付けられていた。下車後の運賃は、ピラミッド群まで行きとメンフィスとサッカーラ行き(の2種類)に分かれていた。
ジャーブリー氏の旅行記によると、ピラミッド群やサッカーラでの運搬用の家畜の運賃は、1950年代まで変わらなかったので、観光客は低料金でそれらを雇うことができた。ロバは10ピアストル、ラクダは15ピアストル、馬は15ピアストル、ガイド一人の一日の料金は2ポンド、(単なる)道案内の場合は1ポンドだったということである。
考古学の専門家ナスル・サラーマ氏は、本紙に「マリエットは19世紀末、サッカーラで精力的に発掘活動を続けた。そして、セラペウム遺跡から100m離れたところで発掘作業に没頭していた。」とコメントしている。さらに、マリエットが1581年11月、金の首飾りや宝石が副葬された聖牛アピスのミイラが納められた石棺を多数発見したことやシェイク・エルベレド(村長)と呼ばれるイチジク材製のカー・アペルの像を発見したことにも言及している。
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( 翻訳者:山下聡一郎 )
( 記事ID:50393 )