イスタンブルの彩 : 人の色と文化
2021年01月04日付 Cumhuriyet 紙

私は、昨年末にマルタ亭の庭で少人数の人々の集まりに披露された本に言及し、その後、紹介文を書くと約束した。イスタンブル広域市文化株式会社が出版した本の名前は『イスタンブルの彩』である。その彩は、セイヨウズオウの紫、マグノリアの緑、マルマラ海の青、ボスフォラス海峡の気難しい波ではない。イスタンブルの人々である。ある都市の彩りは、人々と彼らの文化ではないのか。二つの大陸を分けるイスタンブルは、歴史の中で様々なコミュニティ・信仰・言語の人々が往来し、止まり定着し、数を増やし、逃げ去っていったため減少したが、互いに入り交じって暮らした時代の痕跡を帯びた都市となった、常に。そして、イスタンブルをイスタンブルたらしめる美しさの一つもこの多様な人々である。イスタンブルを征服し、征服者の称号を得たスルタン・メフメトの寛容さによって始まった多宗教の暮らしが時に絶えてしまうターニングポイントに当たるにも関わらず、イスタンブルの同朋をテーマにしたこの本の作者達はこうした宗教を体現している。サロ・ダドゥヤン、ピュザント・アクバシュ、 リナルド・マルマラ、アリ・チョコナ、サイト・スシン、イヴォ・ヴェダト・モリナス、アルタン・オイメン、ナーズム・アルプマン、メフメト・ユジェ、ジェンギズ・オズカラベキル、セヴェジャン・トゥンチ。

■イスタンブルと詩

ジェンギズ・オズカラベキルが計画を仕切った本で取り上げられたテーマは、イスタンブルのアルメニア人、ブルガリア人、レパント人、ポーランド人、ギリシア人、シリア正教徒、ユダヤ人。このコミュニティを解説する際に、アルタン・オイメンはイスタンブルとイスタンブルの人々を詩によって解説している。メフメト・ユジェは、スポーツにより、最後の言葉をジェンギズ・カラベキルとセベジェン・トゥンチが述べている。作曲された歌の歌詞となったイスタンブルを語る詩のうち、あなたは最もどれを好んでますか。ヘイベリで毎夜外に出て月光を楽しむものか、それとも、カラムシュで心の平安を得るものか。私は最も「私はクルミの木である、ギュルハーネ公園に佇む。あなたも、警察も気づいていない」を好んでいる。ナーズィム・ヒクメット[のこの詩]を好んでいる。ジェム・カラジャも[この詩を]何とうまく表現したことか。詩の数々を、アルタン・オイメンが解説した。イスタンブルのブルガリア人をサロ・ダドゥヤンが書いた。エミノニュ周辺で暮らし貿易に携わるブルガリア人のイスタンブルにおける痕跡は、バラトにある鉄製教会である。アズナヴールの計画の逸話はとても長い。建設も、3年に渡ってウィーンで鋳造された教会のパーツは1895年に完成され、イスタンブルに運ばれ組み立てられた。もはや彼らは僅かにここにいるが、生きた作品はイスタンブルにある。イスタンブルのアルメニア人についてピュザント・アクバシュが筆を執った。メフメト二世によりアナトリアから連れてこられたアルメニア人は、イスタンブルのサマティヤ、クムカプ、ゲディキパシャ、ガラタといった地区に住まわされ、芸術・工芸に携わった。特にバルヤン家の建築家達は、イスタンブルにクレリ、ドルマバフチェ宮殿といった作品を残した。世界的に著名な写真家であるアラ・ギュレルについても漏れなく触れている。アルメニア人はイスタンブルの食にも大きな貢献を行った。イスタンブルの最も重要な彩りのひとつはギリシア人である。アリ・チョコナがギリシア人に関し本書で割いた記述量は彼らの果たした貢献同様に長い。歴史的位置づけから今日の重みまで、総主教座からペラ・パラス、[ベイオウルの]チチェキ・パサージュまでと、これほど語るべきことが沢山あるので、私は皆さんの注意を喚起することだけにします。後は本をご覧下さい。

■オスマン朝は手を差し伸べた

イスタンブルのユダヤ人をイヴォ・ヴェダト・モリナスが語った。スペインから追放されたユダヤ人達の大部分は行き先でも苦難を味わったが、オスマン朝は手を差し伸べた。冷酷者スルタン・セリムの医師ヨセフ・ハモンは宮廷の典医にまで登り詰めた。ユダヤ人は貿易の傍ら医術でも名声を成した。征服者スルタン・メフメトは、他の信徒集団と同様に、イスタンブル征服後にユダヤ人をイスタンブルに招き入れ、この地で信仰の自由と職業[選択]上の自由を約束した。彼らは、その時以来、今も平穏に暮らしている、とは言えない。[第二次世界戦時に課された]「人頭税」を始めとして、[1955年の]9月6-7日事件、その後のシナゴーグ攻撃までと、発生した多くの事件は、ギリシア人、アルメニア人同様に、ユダヤ人の大半がイスタンブルやトルコを去る理由となった。今日、その数は、残念ながらとても少なくなった。到来した際に非常に僅かなグループで、定着した村に名前を付けることになったポーランド人のポロネーズ村については、ナーズム・アルプマンが語っている。イスタンブルの文化的多様性を語ったこうした人々の中には、ダリオ・モレノ、マルク・アルヤン、シャルル・アズナヴール、ハイコ・ジェプキン、レフテル、シリンヤンといった、皆が知り好んでいる多くの著名人がいる。本書の中には単に逸話だけでなく、多くの素晴らしい歴史的な価値を帯びた写真が掲載されている。イスタンブル広域市文化株式会社は以前に『アタチュルクの写真の逸話』を皆さんに邂逅させたが、私たちの歴史や価値を明るみにする同株式会社の書籍は、イスタンブル書籍販売所(İstanbul Kitapçıları)で売られている。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:50409 )