チャドの牛乳売り少女(4)
2021年01月16日付 al-Mudun 紙

■チャドのシンボルとなった牛乳売りの美しい少女…貧困のうちに亡くなる

【ムハンマド・ジッディー・ハサン:本紙】

彼女の写真がカーミット氏によってスークで撮られたことを否定する他の説もある。そこでは彼女が牛乳を売っていたのは国を占領していたフランス人であったと伝えられている。そしてある人が彼の家でキッローの写真を撮った、と。カーミット氏がそう語っているとはいえ、ここでは最初の説を二番目の説と比べて偏重することはしない。しかしいずれにせよ、これは彼女の美しさについて語るよう我々に仕向けるエピソードなのだ。キッローはその時女性としての美の最高峰にあった…まだ20歳にも達していないとはいえ、毎朝10数キロ練り歩いたことが彼女の引き締まった体のはっきりとした美しさをもたらしたのだ。

彼女の肖像は1950年代末のフランスにて郵便はがきで初めて流布した。のちにキッローは独立達成後に名称を変更していた首都ンジャメナに来て、「ジャンブ・バハル」地区に住みついた。この地区は現在ムナー図書館の南側にある。彼女は60年代終わりまでそこで生活し、最終的にトゥクラ村へ帰郷した。1963年、彼女の肖像は政府のスタンプや公印、紙幣の上に見られるようになった。しかし彼女といえば、トゥクラという首都からわずか数キロメートルの距離にある小さな村にいながらも、起きていることについて何も知らなかった。

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( 翻訳者:片居木周平 )
( 記事ID:50566 )