イランとアル=カーイダの微妙な関係 (1)
2021年02月12日付 al-Quds al-Arabi 紙


■イランで釈放されたアル=カーイダの幹部たちがシリアへ渡ったのはどうしてなのか?

【本紙コラム:ワーイル・アッサーム】

「イランがアル=カーイダのメンバーにイラン国内の安全な場所や支援を提供している」というポンペオ前米国務長官の発言は未だに多くの評論家たちの気を揉ませている。以前の記事でわれわれは、アル=カーイダとテヘランの一連の微妙に緊張した対立関係と、軟禁されている幹部たちの存在の正体、そしてビン・ラーディン一家のメンバーが拘束され、その一人息子のハムザがイランの治安刑務所で拷問を受けている実態を明らかにした。ここでは、ポンペオ前長官が述べた「アル=カーイダの幹部がイラク内に潜伏し、その一人が殺害された」その理由に迫りたい。

テヘランの刑務所に拘束されていた2名の幹部は、アル=カーイダとイラン政府の間の拘束者交換取引に基づいて、他の4名と共に釈放された。これは、2013年にイエメンのアル=カーイダは、サナアでイラン人外交官を拘束し、その後2015年にテヘランで拘束されていたアル=カーイダ幹部6名と彼を交換したというものである。釈放された6名のうち3名は、エジプト人のサイフ・アダル、アブー・ムハンマド・マスリー、アブー・ハイル・マスリーである。そして2名はヨルダン人のアブー・カサーム、サーリー・シャハーブである。彼らが、イエメンにいるイラン人外交官と引き換えに釈放されたのである。

その後、アブー・ハイル・マスリー、ヨルダン人のアブー・カサームとその仲間2名の計4名がシリアに向かった。イランに残ったのは、エジプト人のサイフ・アダルとアブー・ムハンマド・マスリーで、2名とも、イラン国外への渡航を禁じられた。のちに、シリアに渡った幹部4名はすべて殺害され、イランに残った1名も殺された。「シャーム解放機構(HTS)」の正当幹部の一人アブドゥッラヒーム・アットゥーン氏が2017年に送った手紙によって、アル=カーイダの幹部がイランに拘束されている正体が明らかになった。この手紙は、ヌスラ戦線との対立状況の中で、アイマン・ザワーヒリーへの返答として書かれたものである。

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( 翻訳者:萩原優太 )
( 記事ID:50700 )