イランとアル=カーイダの微妙な関係 (2)
2021年02月12日付 al-Quds al-Arabi 紙

■イランで釈放されたアル=カーイダの幹部たちがシリアへ渡ったのはどうしてなのか?

【本紙コラム:ワーイル・アッサーム】

アットゥーン氏はその手紙で以下のように述べている。
「イエメンの同志たちとイラン政府の間で(拘束者の)交換取引が行われた。イエメンのムジャーヒディーンたちはイラン人の人質を取っていたからである。その取引によって副指導者アブー・ハイル尊師とその仲間、彼の同志カサームとその仲間の計4名は全員、釈放されイラン国外に逃れた。一方、2名の尊師(アル=カーイダのナンバー2、ナンバー3)も釈放されたが、彼らはイランからの出国を禁じられた。その後、アブー・ハイル副最高指導者ら4名はシャームに到着した。到着するとすぐ、故アブー・ハイル尊師は、われわれに自分がザワーヒリー指導者の後継者であることを記した文書を示し、その時、自分が後継者である副指導者だと説明した。」
2015年の拘束者交換は初めてのことではない。それ以前2011年にも別の交換が行われた。そのときは、2008年にパキスタンで拘束されたイラン人外交官の釈放を条件にハムザ・ビン・ラーディンがテヘラン刑務所から釈放された。このようにアル=カーイダの幹部がイランに存在する状況は、テヘランとの不安定な関係を示している。そしてその実情を、10年前の2010年にアル=カーイダ幹部たちが劣悪なイラン諜報刑務所の環境を訴えた手紙の中で確認することができる。彼らは手紙の中で、(アル=カーイダ)組織が(イランに彼らの)釈放を要請するように求め、具体的に「われわれがあなた方に求めることは、イラン人高官の誘拐とイラン政府との交渉である」と述べている。

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( 翻訳者:萩原優太 )
( 記事ID:50701 )