ヒュッレム妃が、没後463年目に墓廟で追悼された。
イスタンブル県文化観光局によってヒュッレム妃のスレイマン霊廟にある墓廟の傍らで昨日追悼式が行われ、ジョシュクン・ユルマズ県文化観光局長、イスタンブル大学のマハムト・アク学長、県のムフティー(イスラム法解釈者)であるメフメト・エミン・マシャル氏が参列した。追悼式では聖典クルアーンの朗読に続いて祈りが捧げられた。
■「歴史に刻まれた」
県文化観光局長ジョシュクン・ユルマズ氏は追悼式の後、「ヒュッレム・スルタン※はオスマン時代の最もたくましい人物、歴史的な女性スルタンの一人だ。立法帝(壮麗帝)スレイマン1世という世界の歴史に名を残した偉大なパーディシャーの妻であり、セリム2世の母である。歴史に名を残しただけでなく、いくつもの議論の中心にもなった。しかし、今日振り返ってみると、イスタンブルのハセキ・ヒュッレム・スルタン墓廟をはじめとして、イスタンブルの信仰に非常に大きく貢献し、非常に広大な救貧院、ワクフを創設した女性スルタンだ」と述べた。
※訳注:スルタン(君主)の后妃や母親、子供たちの称号にも「スルタン」が用いられる。
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( 翻訳者:関口ひなた )
( 記事ID:50919 )