エディルネで「時計台マドラサ」として知られ、3年間の改修工事を終えた後、昨年改築が開始されたファティヒ・スルタン・メフメト博物館の開館式典が行われた。ファティヒ(メフメト2世)が教育を受けたマドラサとして知られ、トルコで初めてのテーマ型博物館という特徴を持つこの博物館の開館式典にはファティヒ・スルタン・メフメト基金大学(FSMVU)の学長であるファティヒ・アンドゥ教授が出席し、教授は「ファティヒ・スルタン・メフメトの道徳的な人格に対して一部であれ敬意を表することができて満足している」
ムラト2世によってエディルネに建造され、ファティヒ・スルタン・メフメトが教育を受けたマドラサとして知られる時計台マドラサは、3年間の改修工事を2019年に終えた。この歴史的建造物について、エディルネ県は博物館への改装に向けて動き出し、ファティヒ・スルタン・メフメト基金大学と協働した。
現在ファティヒ・スルタン・メフメト博物館として開業しているこの博物館については、エディルネ県とファティヒ・スルタン・メフメト基金大学の間で、昨年7月に歴史的建造物に関する協働プロトコルへの調印がなされた。その9ヶ月後に博物館の改築工事が完了し、エディルネ県のエクレム・ジャナルプ知事、公正発展党のエディルネ選出・ファトマ・アクサル国会議員、エディルネ市のレジェプ・ギュルカン市長、ファティヒ・スルタン・メフメト基金大学のファティヒ・アンドゥ学長、トラキア大学のエルハン・タバクオール学長が参加して開館式典が行われた。
■アンドゥ学長「このように偉大な人物について社会によく説明するべき」
開館式典で演説したファティヒ・スルタン・メフメト基金大学のアンドゥ学長は、ファティヒに対して敬意を表することができた幸せについて語った。アンドゥ学長は「偉大な国家には偉大な歴史があり、偉大な歴史はその国家を育てる偉大な人物を生む。我々の国家は、この観点から見るととても豊かな国家だ。この国家が育んだ偉大な人物の中で、ファティヒ・スルタン・メフメトは間違いなく真っ先に名が挙がるうちの1人だ。この社会、そして世界の歴史に大きな影響を与えた人物だ。この種の偉大な人物は自らの生きた時代を築き上げた人物だが、彼らの別のミッションとしてこの影響を彼らの時代から現在まで継続させるということがある。ファティヒ・スルタン・メフメトも、少なくとも自らの時代を築き上げたという役目・特徴と同じぐらい、今日の社会を形作った人物のうちの1人だ。そのため、このように偉大で影響力が大きく役割を果たす人物について、今日の人々や若者に対してよく説明できれば、社会への貢献というとても大きな仕事をしたことになる」と述べた。
■「現代テクノロジーも活用したとても特徴ある博物館」
ファティヒ・アンドゥ学長は、この博物館はファティヒの名前を冠した初めての博物館ということで大きな役割を背負っていると述べたうえで「現代の人々は頭でするのと同じぐらい目で考える。我々が博物館と呼ぶ役割のものは、古典的な意味で過去を受け入れるのでは人々の共感を呼ばない。なぜなら博物館は、現在では役割を失った古代のオブジェ、文書、創作物を伝承する組織だからである。視覚テクノロジーや視覚文化の可能性は、今日の博物館が社会生活の中にとても活動的な形で含まれるという可能性を我々に与えてくれる。この文脈で、ファティヒ・スルタン・メフメト博物館が今日の視覚テクノロジーを活用しながらとても特徴的な博物館としてのコンセプトを内部に備えているというのはとても喜ばしいことだ。今後エディルネに開館する博物館もここで始まった流れを継続する形で形作られ、エディルネのような特別な街が文化ツーリズムや学問的な関心の焦点になることはとても満足なことだ」と話した。
■アクサル国会議員「エディルネより相応しい街は他にない」
公正発展党のエディルネ選出・ファトマ・アクサル国会議員は、ファティヒの博物館が開館する街としてエディルネ以上に相応しい所はないと述べた。アクサル議員は「明日5月29日はイスタンブルの征服記念日だ。エディルネで生まれ預言者の祝福を受けたファティヒ・スルタン・メフメトはイスタンブルの征服者であり、我々にとって光栄なことにイスタンブルの征服はエディルネから始まり、全ての計画がエディルネで練られイスタンブルが征服された。今日、ファティヒ・スルタン・メフメト博物館が開館する。エディルネより相応しい街、博物館にとってこの場所よりも意味のある街はどこにも存在しない」と述べた。
■ジャナルプ県知事「ファティヒ・スルタン・メフメトは類稀な人物」
エディルネ県のエクレム・ジャナルプ知事は、ファティヒ・スルタン・メフメトが持つ道徳の反映としてトルコで初めて彼の名前を冠した博物館が開館することを名誉に感じていると述べた。ジャナルプ知事は「ファティヒ・スルタン・メフメトは類稀な人物だ。この類稀な人物はどのように育ったのか?ファティヒを育てたのはこの地だ。全ての人々は、その人の中で育まれている文化の反映であり、土地の反映である。ファティヒもこの土地、気候、そしてエディルネが同時に反映された人物である。ここは、ファティヒが初めて教育を受けた場所である。よって、ファティヒを育てた気候や土地であるために、トルコ初のファティヒに関する博物館が開館する場所はエディルネであるべきだ。我々はエディルネ、そしてエディルネの人間として、このことを末永く名誉に思う」と述べた。
■ファティヒの人生の岐路、シリコン製の像が展示
ファティヒ・スルタン・メフメトの人生の岐路が、特別にデザインされた等身大のシリコン像60体で再現されたジオラマとミニチュアで彩られているこの博物館について、来館者は好意で受け止めていた。ジオラマには時計台マドラサの工事現場やエディルネ新宮殿のクム・カスル・ハマム、バビュッサーデ、戦闘用の櫓、ダーダネルス砲の模型などがある。博物館ではムラト2世、ファティヒ・スルタン・メフメト、ヒュマ・スルタン、モッラ・ギュラニなど時代を代表する人物が立体モデル化され当時に相応しい衣装を身に纏っている。
■征服戦のミニチュアが作られる
博物館の庭園の一部には、エディルネからイスタンブルへ進軍した征服軍が米粒を使って200分の1で作られた模型や、ヤズルック・デルスハーネ(夏用の講堂)には鉄球を吊り下げて表現されたファティヒのインスタレーションがある。博物館には、子供のために時計台マドラサの模型や他のテーマを持ったジグソーパズルなどがある遊戯スペースが設置されている。
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( 翻訳者:神谷亮平 )
( 記事ID:51122 )