アフリカ映画:アフリカ出身の女性監督たちの作品がイスタンブル現代美術館に集結
2021年04月10日付 Milliyet 紙


イスタンブル現代博物館の映画部門?は、オンラインのプログラムにおいてセルマ・ギュルビュズ氏の「世界という場所」の展覧会からインスピレーションを受けた「決して一人ではない(Asla Yalnız)」というタイトルのプログラムとともに継続をしている。中東そして北アフリカの女性監督たちの各監督たちの映画作品からのセレクションとして準備が行われた「決して一人ではない」は、4月15-25日の間に観客との邂逅を果たす。

イスタンブル現代映画祭は、テュルクツボルグ株式会社とフランス文化センターの支援とともに開催がされたオンライン上映プログラムにおいて、セルマ・ギュルビュズ氏の「世界というある場所」の展覧会において女性たちからインスピレーションをうけて中東と北アフリカの女性監督たちの映画作品からのコレクションを提供している。チュニジアからケニアまでに至るこの映画作品の数々は、21世紀において女性であることの状況に対しての女性らしいエネルギー、女性の社会的そして文化的な役割を見出している。プログラムにおいては、2月7日にその命を落として、アラブ世界において最も重要な女性映画監督の一人であるムフィーダ・トゥラートリ氏もまた『男たちの季節』という映画作品とともに追悼されている。

■「決して一人ではないプログラム」

『ラフィキ:ふたりの夢』、2018年

2021年4月15-17日

監督:ワヌリ・カヒウ
出演:シェイラ・ムニヴァ、サマンサ・ムガツィア、ネヴィッレ・ミサティ

二人の女性の間の恋物語を説明する『ラフィキ』は、自国のケニアで上映が禁止されたのちに初めてカンヌ国際映画祭において観客たちの前に登場した。地区の子供たちとともにフットボールで遊び、大学を修了したのちに看護婦になりたいと思っているケナと女性グループとともにヒップホップダンスを踊り、様々な色のドレッドロックスの髪で注意を惹くズィキの新たに芽吹く関係性は、酋長の競争においてライバル同士である父親たちそして地区の圧力のために困難を迎える。映画は、既に私たち皆にとって慣れ親しんでいるこの禁忌と衝動の物語を紫、ピンクといった鮮やかな色彩でデコレーションされた視覚的な力とともに伝えながら、二人のキャラクターの間のいまだ制御できないその混沌としたエネルギーを最後まで伝える主役のキャラクター達もまた魅力的だ。
『チュニスの切り裂き魔』、 2014年  

2021年4月17-19日

監督:カウテール・ベン・ハニア
出演:モハメッッド・スリム・ブシハ、ジャレル・ドリディ、ムフィダ・ドリディ

映画は、「ウストゥラ」という綽名の、モーターバイクに乗ってそばを通りかかる際に女性たちの背後からナイフで切りかかってくるある男の後を追う。この「偽ドキュメンタリー」は、かつての政府の首相ビン・アリ氏の2003年の「チュニジア国民は常に安全である」と語るスピーチの場面から始まる。『チュニスの切り裂き魔』は、独裁政権からシャリーアへと移行するある国において女性の諸権利、英負の圧力そして検閲といった諸問題を内部からまたユーモアを含むアプローチとともに取り上げている。今年のチュニジアのオスカー候補となった『皮膚を売った男(The Man Who Sold His Skin) 』によって話題にのぼったベン・ハニアは、自身の陰的な存在である真実でしかしながら形容としてはドキュメンタリーであり、中身としてはフィクションであるラインによって説明をおこなうことが出来ると信じている。観客にもまたこのことを信じさることに成功している。

『忌々しい豆たち』、2013年

2021年4月19-21日

監督:ナリマネ・マリ
出演:アドレーン・アイサニ、アミール・ヌーリーヌ、ビラール・アズィル

その歴史ほどの重さをもっている食物である豆類を消化することは、歴史を消化するほどに困難なことである。監督は、この最初の長編作品においてフランスの132年にわたる支配を、独立戦争を、ヒロイズムもしくは様々な痛みを子供たちを通して、トリックスター、超現実的な言語を用いて解説を行っている。豆を食べることに飽きてしまったグループの子供が、フランスの兵舎から食べ物を略奪することを決め、そして事件へと発展する。半分はインプロビゼーションであり、もう一度撮影をおこなうことなく、9日間で撮影を終えた映画は、アルジェリアの若者たちの満ち溢れる生でそして狂気のエネルギーをとらえている。大部分は男性であるが、ギャングの二人の少女のメンバーは、料理を作るようにと求められると彼らに対し、「この戦いの持ち主はあなただけじゃないのよ!」と返事をしながら、独立の闘争においての権利を主張しているのだ。ドキュメンタリー作品とフィクションの実験的な融合といった作風である『忌々しい豆たち』は、悲劇の予行演習を行いながらも、妄想的なシネマトグラフィー、(音楽グループ)ゾンビ・ゾンビのエレクトロニック音楽とともに楽しくそして、希望で満ちた寓話へと変わるのである。

『ウンム・クルスームを追いかけて』, 2017年

2021年4月21-23日

監督:シリン・ネシャット
俳優たち:ネダ・ラフマニアン、ヤスミン・ラエイス、メフディ・モインザデー

映画世界において、配置によって知られているシリン・ネシャト氏は今回第二作となる長編はひとつのメタ・シネマの実例である。主役には、「エジプトのサヨナキドリ」、「東洋の星」といった名前で思い起こされる、世界で最も偉大な歌手の一人としてみなされているウンム・クルスーム氏のバイオグラフィックな映画を撮影したいと望み、ネシャト氏のようなイランにルーツのある亡命家督がいる。映画は、ギュルシュム氏の意味、重要性そして同時に女性としての場所と困難をそのほかの女性芸術家の目から説明をおこないながら、20世紀の中ごろにおけるエジプトのディーヴァと今日の女性映画人の間におけるジグザグな関係を提示している。カメラの前そして背後における事件の数々そして感情もまたそれぞれに絡み合っている。


『男たちの季節』、2000年

202年4月23-25日

監督;モウフィダ・トラトゥリ
俳優陣:ラビーア・ベン・アブダラ、サバフ・ボウゾウイタ、ガリア・ベナリ

2月7日にその生涯を終え、アラブ世界の最も重要な女性映画人の一人であるモウフィダ・トラトゥリ氏の第二作となる長編映画である。映画はライクリッキとシャリーアの間に取り残された社会における二つの異なる世代の女性の変化する役割、女性であることの状況を分析している。チュニジアに仕事に向かった夫たちを一年のうちにただ一か月だけ見ることのできる女性たちの、子供たちとともに起きる出来事がジェルバ島で巻き起こる映画は、その名前にあるように、男性たちではなく女性的な世界を舞台としている。デリケートに編み込まれた壮大なナレーション、力強いシネマトグラフィそしてキャラクターたちとともに、社会的な規範によってではなく、自身の望んだように生きたいと望む女性を物語る、痛烈でまた味わい深い映画作品なのだ。

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:51237 )