アンカラのギョルバシュ、ハラッチル・メフメト・アー邸修復へ
2021年11月07日付 Cumhuriyet 紙
アンカラ広域市は、独立戦争の最も重要な歴史的建造物の一つであるギョルバシュ・ハラッチル・メフメト・アー邸を元々の形を守りながら修復する予定である。
首都の歴史を保護し将来の世代に伝えるために活動を起こした広域市は、独立戦争の重要な歴史的建造物の一つであるギョルバシュ・ハラッチル・メフメト・アー邸の修復事業のために活動を始めた。
アンカラ広域市文化自然財局は、1923年に建築が始まり1929年に完成したギョルバシュ・ハラッチル・メフメト・アー邸を元々の造りに適した修復をする予定をたて、市民社会組織の意見と提案を取り入れて修復活動を開始することになる。
独立戦争中に兵士に食べ物の支援をおこなったギョルバシュ・ハラッチル・メフメト・ アー邸を徹底的に改修する予定である広域市は、計画をスイス人建築家、建設をギリシア系の職人が行ったこの邸宅を本来の形に相応しい形で修復する予定である。
文化自然財局ベキル・オデミシュ局長は、メフメト・アタク氏の娘であるアンダチ・アタクさんが広域市に寄贈した共和国時代に光を当てる歴史的な邸宅を再建することを目的としていると述べ、修復活動の前に市民社会組織の意見と提案にも配慮すると述べた。
■首都観光に利益
市民社会組織代表者たちと邸宅を訪問したオデミシュ局長は、プロジェクトに関して次のように述べた。
「ハラッチル邸は、都市にある建築資材を農村部で用いた最初で唯一の例であると言えます。アンダチ夫人から広域市に寄贈された邸宅を再建するプロジェクトを始めました。邸宅が使えるようになるよう当会議は探求を続けています。このためにも大学、職能団体、市民社会組織、関連機関とともに検討し、邸宅が建っている地域での歴史的特色を守り、かつ、そのアイデンティティを持続可能にするために使用していこうと考えています。ハラッチル・メフメト・アーは、邸宅にある竃でパンを焼き、サカルヤ川の戦いで英雄的に戦ったトルコ軍兵士のあらゆる要求にこの邸宅で応えました。このように重要な過去の歴史があるのです、この邸宅には。」
オデミシュ局長は、歴史的な重要性を持つ邸宅が首都観光に利益をもたらすことも目指していると述べ、「自治体としてアンカラと附属するすべての区にある全ての歴史的アイデンティティをもつ建物を保護し、将来の世代に伝え、都市の記憶に残すために、重大な責任をもって取り組みを続けています。修復活動を完了して邸宅をハラッチル地区で暮らす人々とアンカラで暮らす人々が利用でき、時間を過ごすことができる性格の場所に変え、観光に利益をもたらそうと望んでいます。」と述べた。
■都市の歴史のためにも共同知的考え
アンカラ広域市は、国内建築時代の明らかな特徴を持つハラッチル・メフメト・アー邸を、共同知と参加との考えよって世に知らしめると訴え、崩壊に向かう邸宅を一方で改修し、図面にとり、修復するプロジェクトが続いている。他方では、プロジェクトが健全な基盤の上で実施できるよう関係者と調整している。
文化自然財局ベキル・オンデシュ局長は、農業サービス局アフメト・メキン・トゥズゥン局長、ハラッチル地区ヴェイセル・ソラク地区長、環境文化的価値保護・ 普及財団のアンカラ代表のファルク・ソイデミルアンカラ、ハラッチル邸寄贈者アンダンチ・アタク、トルコ種苗財団プナル・アイハン会長、バシュケント大学建築学部ミュゲ・バフチェチ教授と邸宅を訪問して、作業開始後の各進展段階を明確にするために意見交換を行った。
バシュケント大学建築学部教授で保護・修復専門家協会のバフチェチ会長は、プロジェクトに参加をすることとなった喜びを「広域市が邸宅の測定・修復プロジェクトを競売にかける過程で私たちが市に指南・支援したい。私たちは、過去の会議でここがどのように利用されるようになるのかについて考えを述べた。この間、大学と協会の名の下で貢献できることを大変喜ばしく思っている。」と述べた。
トルコ種苗財団アイハン会長は、自らの考えを次のように披露した。
「私たちはここを往来する中、周辺地区の才能ある子供達とこの邸宅で文化芸術活動を行うのを夢見ていた。私はひとりの芸術家として、もちろんこの場所で文化芸術活動が行われるのを願っています。もしこの方向で決定が下されるのなら、この地区での教育、女性達との活動、子供達と芸術活動とともに音楽鑑賞には進んで奉仕するよう努めるでしょう。このため、とても意欲十分で、興奮しています。広域市に感謝します。」
邸宅を巡り検分した環境・文化的価値保護・普及財団のアンカラ代表であるファルク・ソイデミル氏も、「アンカラにある文化遺産を保護し、存続させ、将来の世代に伝える点で取り組みを行っています。この建物はまさにそうした特色を持った建物のひとつです。アンカラ広域市がこの問題で果たしている努力を祝福します。この邸宅が修復された後、文化センターといった性質をもった運用の仕方が相応しいと思います。あらゆる世代にとって、音楽教室、アトリエといった利用がされるのがいいでしょう」と見解を述べた。
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:51814 )