イラン映画:アスガー・ファルファディから文化ルーツへの帰還となる作品:『英雄の証明』
2021年07月14日付 Cumhuriyet 紙


アスガー・ファルファディ氏は自分のルーツへと帰還し、そしてまたよくやってのけたようである。3年間にスペインで、またハリウッドでスター俳優たちと撮影をしたあの味気がなく、私たちもすぐに忘れてしまった試みののちに、私たちが愛してそして恋焦がれたファルファディ氏をついに発見をしているのだ・・・

イラン映画界の、アッバス・キアロスターミから(1940-2016)ののちにやってきた最も重要な映画監督であるアスガー・ファルファディ氏(1972~)は、その文化ルーツへの帰還である『一人のヒーロー(邦題は『英雄の証明』)』とともに観客をテヘランのごく慎ましい地区にまた招待をしている。生活の闘争が次第に深刻化をしている条件の中で、いつも嘘を言いながら共謀をするほどに狡猾で、また同時に誠実な姿勢を提示するほどにまで、良心的であり(もしくは猫かぶりなのか?)私たちの若いヒーローが、どのように望まないコースに入りこむことを強要されたのか、正しい目標に対する善良な意図に基づいた努力がどのように歪められて用いられたのかということが提示される中で、映画芸術のクライマックスへと再び上りつめている。

■人かもしくは、秩序に責任があるのか?

ファルファディ氏は、何よりもまず賢く、そして光り輝くようでありながら、狡猾なシナリオ書きである。
まず一つに、大変に素晴らしい観察者であり、リアリストであり、ある地点ののちには悪魔的な書き手となる。彼が操るキャラクターたちは、目標とする結果に対しては正反対の振る舞い、そして様々な活動の背後にある逃れがたいダイナミズムを一つずつ、とりわけ感じさせることなく強調をするシナリオの天才なのだ・・・
アジテーションに対して重きをおくことなく、物語内部の緊張を高めることに成功をして、数えきれないほどの細かな言及とともに説明をする物語の地平線を留まることなく広げて、観客を操作はしたくないと、全ての人を信じさせながら、止まることなく操作をすることに成功をして、メインテーマを、サイドテーマへとどんどん養分を与えながらしっかりと織り上げられた傑作なのだ。

負債を支払うことができなかったために、服役することになった若いキャラクターが、獄中から逃れるためにお金を返済しようと試みる中で、降りかかったことのために、テレビにおいても事件を大々的に取り上げた結果、
一瞬にしてヒーローとなる。同じスピードでまたその王座から転落する・・・!

独断的で、保守的、狭量な男性支配が40年間形づくっているイランにおいて起こっている問題の数々を、
根底にはこの宗教的なアプローチと並行をして、名誉の概念を誤って強調しながら荒っぽい誇りそして権力の問題となる伝統的なマッチョ文化に基づいていると強調をしている。ソ
ーシャルメディアがもたらした新たな危険に対して、取り分け操作する力に対して注意を引きながら・・・

この間に、昨日私たちが鑑賞をした映画においても見たように、複雑な問題の前では女性たちは更に人間的であり、より建設的な決断を提示しながら新たな解決策を生み出そうとする努力を静かに増大させているのだ・・・

アーヤトッラー(訳注:シーア派高位ウラマー)の作り上げた「イスラム共和国」モデルの子供であるファルファディ氏は、ヒューマニストの価値の不安にさせるような劣化から、社会的な解決策から、司法そして警察組織をはじめとしてすべての公的組織に対して感じられる不信から、人間関係を腐らせてしまう大小の嘘の形から、40年間にわたって続いているこの宗教的、そして権威の秩序がもたらした腐敗に恐らくは責任を負わせている。しかしながらこの考えは多彩なメタファーの後ろで表現をすることができるのだ。

イスラエルや、さらにはトルコ人映画監督程には、残念ながら表現の自由を有してはいない・・・

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:52315 )