トルコ文学:アゼルバイジャンで最もよく読まれているトルコ人作家たち―ソヴィエト統治期から現在まで
2022年01月15日付 Yeni Safak 紙


2007年にアゼルバイジャン大統領は、『150巻世界文学図書館』というタイトルの翻訳プロジェクトをスタートさせた。プロジェクトの目的は世界文学の重要な作家たちをアゼルバイジャン・トルコ語へと翻訳することだ。このプロジェクトではトルコ文学を代表するユヌス・エムレ、ナーズム・ヒクメト、ナジプ・ファズル・クサキュレクそしてオルハン・パムクの書籍が出版された。


ソヴィエト時代に(1920-1991)アゼルバイジャンでトルコ文学に対しての大きな関心があっても政治的な理由のためにトルコ人作家たちの本を出版するのは困難だった。出版された書籍もまた、厳しい検閲をうけた、そして普通、左翼的な見方をする作家たちの書籍の出版が標的となった。政治的な理由であったとしても、選出された文人たちはトルコ文学の重要人物たちであり、彼らは書籍が出版されることは、関心が高まる理由となった。例えば自国において弾圧対象となったナーズム・ヒクメトの最初の書籍である『太陽を呑むものたちの唄(Güneşi İçenlerin Türküsü)』が、1928年にバクーで出版されたのは重要な文学的事件であった。ナーズム・ヒクメトは全ての時期において、また今日においても未だに読まれていて、そのことについての本が書かれている詩人のひとりである。ソヴィエト時代において最も著名な人物は、ナーズム・ヒクメトであったが、それ以外にさらによく知られている二人の人物が存在していた。レシャト・ヌリ・ギュンテキンそしてアズィズ・ネスィンだ。トルコでそうであったように、アゼルバイジャンでもまた一時期、『チャルクシュ』、『落ち葉』、『唇から胸へ』というカルト小説の中にあったのだ。1980年代の終わり以降にはオルハン・ケマル、サバハッティン・アリ、オルハン・ヴェリ、ヤシャル・ケマルの作品もまた翻訳がされ始めたのだ。

■根底的な変化が起こった年月

1990年代は、アゼルバイジャンではありとあらゆる分野で物事が根幹からの変化が起こる時期だった。起こっている巨大な政治的な事件というのが生活のありとあらゆる領域で跡を残したように、文学にもまた影響を与えた。1990年の1月20日ロシアの戦車がバクーで市民を殺害した。1991年にはソビエト連邦が崩壊、カラバフの戦争が始まり、1992年2月26日発生したホジャル大虐殺、国における政治的な混乱は隠されてそしてまたはっきりとした形で文学に反映されていたのだ。

これらの混乱がすべての文学組織を麻痺させてしまったために、この年代において活力のある文学が盛り上がっていなかったのは、確かなことだ。数多くの重要な新聞、雑誌、そして出版社が、政治的な混乱と同時に物質的な制約のためにも出版を止める必要が生じたのである。そのために、文学の多様なジャンルを読者とともに共有するプラットフォームというのは殆ど存在しなかった。70年間統治した帝国の崩壊、そしてそれが生み出した様々な問題が全ての文化的装置のセクターに到達したのだった。作家たちは、家に閉じこもって文学的な文章を生み出すことよりも、その肩にさらに重要な責務を担ったのだ:独立のために闘争に対して思想の観点から方向性を与えることである。

■オルハン・パムク、イスケンデル・パラ

これらすべての混乱の時代は短期間で過ぎ去り、トルコ人文学者たちの書籍がアゼルバイジャンで広まるようになったのは2990年代の終わり頃以降となった。
この時期においてその注目を集めた作家はオルハン・パムクであった。彼は、更には2004年にアゼルバイジャン作家協会議会で招待がされるようになった。2018年にオルハン・パムクの家でおこなった私たちとの対談では、初めてバクーでノーベル賞を獲得するトルコ人作家として賞賛がされたと私に述べた。つまりは、パムク氏がノーベル賞を獲得する二年前に、私たちの作家が、彼がこの賞を受賞するであろうと確信を持っていたということなのだ。アゼルバイジャンでは最近20年間、最も語り合われるトルコ人作家がパムクであるということはいうことが出来る、そのほぼ全ての作品がアゼルバイジャン・トルコ語に翻訳された。またもう一つ付け加えなければならないのが、トルコでそうであるようにアゼルバイジャンでもまた、彼の書籍を一作も読まずに酷評する人々がいる。このことを批判する人たちというのは、彼の文学の文章にではなく、対談の内容そして人々の口から口へと伝えられる考えにレファレンスを得ているのだ。

パムクののちに数多くその名が引き合いに出される作家の列にはエリフ・シャファクそしてイスケンデル・パラがやってくる。シャファクの『愛』、イスケンデル・パラの『ヤヴズ・スルタン・セリム』そしてイスマーイール1世の物語である小説『シャーとスルタン』は文学界において、注目を集める作品の中に位置を得ている。

■重要なプロジェクト

2007年にアゼルバイジャン大統領は、『150巻世界文学図書館』というタイトルの翻訳プロジェクトを開始した。このプロジェクトの目的は世界文学の重要な作家たちがアゼルバイジャン・トルコ語に翻訳されることであった。このプロジェクトでは、トルコ文学を代表するユヌス・エムレ、ナーズム・ヒクメト、ナジプ・ファズル・クサキュレク氏そしてオルハン・パムクの書籍が出版されたのだった。トルコ文学からこの4人の名前が選出されたことは、アゼルバイジャンにおいて彼らがとてもよく知られているということへ、彼らが、

今日にアゼルバイジャンで愛されて、読まれているトルコ人作家たちとは、一体誰であるのか、という問いに対して短い回答を与えることは、不可能である。文化-芸術愛好者たちの大部分が推測されるように、トルコ語で書籍を読むことができるのである。このため未だにその著作が翻訳されていない詩人たち、小説家たち、物語作家たち、これらと並んでオト、カファ、カフカオクル、ノトス、キタプルク、トルコ文学、ジュムヒュリイェトといった定期刊行物が関心をもってその動向が追われたということが言える。

今日ではバクーでは、ある書籍市場を巡り歩いてみれば、全ての世代のトルコ人作家の書籍をその書棚で見ることができるだろう。総合的な景色を提示することができるように、上で名前を挙げたその他の、アゼルバイジャンにおいてもその書籍が出版されている何人かの名前を挙げながら、私のペンを置くことにしよう。アフメト・ウミト、ハーカン・ギュンダイ、ムスタファ・クトゥル、マリオ・レヴィ、ブルハン・ソンメズ、アイフェル・トゥンチ、ファトマ・バルバロスオール、エジェ・テメルクラン、アイシェ・クリン、ネルミン・ユルドゥルム、アドナン・オゼル、トゥールル・タンヨル、アタオル・ベフラモール、ファズル・ヒュスニュ・ダーラルジャ、アズラ・コーエン、ヤクプ・オメルオール氏、イムダト・アヴシャル氏、バフティヤル・アスラン氏、セルハト・カバクル、アスルE.ぺケル、ギュル・イレポール、タルク・トゥファンだ・・・

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:52744 )