メラル・アクシェネル善良党党首は、「クリミアの同胞たちを筆頭にプーチンの圧政に喘ぐ人々の命を運命に委ねてしまってはいけない。プーチンは一線を超えた。今は空虚な言葉ではなく制裁の時である。躊躇せず圧政者に正面から立ち向かう時だ」
メラル・アクシェネル善良党党首は、トルコ大国民議会における党のグループ会議でのスピーチで、ロシアがウクライナに侵攻を開始したことは、歴史の転換点の一つであると述べた。世界にはロシアの拡大主義の問題が横たわっていると述べ、ロシアが国際法と国連の理念を理解していないことを明らかな形で述べたアクシェネルは、「さらに、この攻撃はウクライナ東部の紛争地域と軍事施設に限定されていなかった。ウクライナの都市や民間人の居住区が攻撃の対象とされた。これは明らかな占領とクーデタの試みであるということは言っておかなければならない。なぜならばロシア大統領のプーチンはウクライナの人々の意志を認めておらず、政治的主権を尊重していない。彼は軍事的手段で知事を直接任命しようとしており、あまつさえ、この人物はおそらくこれだけでは満足していない。言うなれば彼は妄想狂にふさわしいロシア文学の主人公のように自分の国を安全に保つため、自分が望むように他国を侵略する権利があると自分を見做していると言っている。この状況はあらゆる点でターニングポイントである」と言った。
■「圧政に立ち向かう時」
メラル・アクシェネルは、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンの態度は第二次世界大戦後の東欧を徐々に支配下に置いていったソヴィエト社会主義共和国連邦の指導者であったヨシフ・スターリンを想起させると述べ、以下のように語った。
「スターリンは国境を拡大することに非常に野心的であったので、自分の言葉に従わないと考えた東欧の共産主義政治家たちすらも排除し、その地位に自分を補佐する人物を任命した。つまり、冷戦世界において問題は共産主義の拡大よりもロシアの拡大であった。こうして、このために1956年にブダペストで、1968年にもプラハで徘徊したソ連の戦車には一つの目的があった。この目的はロシアの支配権を守ることに他ならなかった。この時代に、ソ連がとった戦略は社会主義の名の下に隠すことができていた。冷戦終結後には覆い隠すことのできるイデオロギーは残っていなかったが、このことはロシア連邦の拡大主義中毒がなくなったことを意味していない。今日、これをあらゆる衝突において見ることができる。この野望はプーチンと共に復活した。この度も、社会主義という言葉に帝政ロシアへの郷愁が取って代わったように見られる。ウクライナで起きている、世界の良心的で賢明な人たちの正義感を揺るがすようなこの状況に、国際社会はこれ以上黙ってはいられない。この傲慢さとこの貪欲さを許すことはできない。クリミアの同胞たちを筆頭にプーチンの圧政に喘ぐ人々の命を運命に委ねてしまってはいけない。プーチンは一線を超えた。今は空虚な言葉ではなく制裁の時である。躊躇せず圧政者に正面から立ち向かう時だ」
■「未回収のロシアがカルス、エルズルム、アルダハンでないと誰が言えるのか」
ロシアのこの状況に対してトルコが安全であるということはできないと主張したアクシェネルは、「プーチンの頭にある未回収のロシアがカルス、エルズルム、アルダハンでないと誰が簡単に言えるのか?今日、周辺地域の全ての独立国はこの問題を自国に投げかけている。誰もがプーチンの支配下にあるロシアのために自国の安全が脅かされていることに気づいている。このことに気づかず、ロシアがこのような状態にあることに満足しているたった一つの国は残念ながらトルコである。しかしながら、目の前に非常に明らかな現実が横たわっている。私たちの目の前に、周辺の国々の国境と独立性と、政治的主権を認めず、このことを公然と戦前しているロシアがいる。正気を保った人々によって率いられる全ての国が、もしも独立性と政治主権をロシアから守りたいと思うのであれば、明確な措置を講じなければならない。しかし残念ながら、トルコはこの措置を講じないほどにロシアに依存してしまっている。両国の関係はバランスがとれ、対称的ではない。この関係はロシアに有利な非対称な関係である。S400地対空ミサイルからシリアまで、アックユから観光に至るまでほとんど全ての分野でこの非対称性はトルコが陥った脆弱な状況の反映が見られる」と述べた。
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( 翻訳者:岩田和馬 )
( 記事ID:52784 )