トルコ演劇:ババ・サフネの新作演劇『タクシム』が上演-泥沼密室劇とトルコ政治
2022年02月07日付 Cumhuriyet 紙


エムラー・エレン氏が監督を務めた、『ババ・サフネ(お父さんのステージ)』の新作演劇である『タクシム』が、『エル・バー』というタイトルの映画からインスピレーションを受けて、演劇の舞台で翻案された。

バハリイェの中に「ババ・サフネ」はある。シェヴケト・チョルフ氏が作り上げたこのミニ劇場は大変に美しい。ありとあらゆるものが、子細に考え抜かれたようだ。その土地の住人たちに、歴史的な場所を思い起こさせている。いくらか国外の劇場から、さらにいくらかセス劇場からもインスピレーションを受けているようである。

ステージ上におけるデコレーションは、チュール布で覆われている。演劇が始まるまでには30分ある。20:30分で始まる予定の演劇は実際のところ、20時20分に始まる。デコレーションにおける全てのディテールはとても成功を収めている。ここは「タクシム・ビストロ」という名前のカフェ・バーである。カーテンは演劇の時間の10分前に始まる。演劇では、明け方の時間委、店を開くカフェ―バーの持ち主を見る。椅子がセッティングされる。バーの後ろでは、様々な仕事が行われはじめる。その時には店の外にある男、そして一人の女性が姿を現す。二人は静かに話をしているようだ。女性はその伊勢から中に入るが、その店の持ち主であり、そしてまたカフェ―バーを開いている人物の姉である。扉が開く、レザー・ジャケットそしてオフィスのカバンを持って扉の前で煙草を吸っている男の姿を見る。バーの常連客であるようだ。そのあとで、頭よいが頭のおかしな一人の男が、ミニスカートを履いた一人の女性が、また眼鏡をかけた一人の若い男そして一人の服装倒錯者が登場する。彼らにとては毎日はごくあり触れた朝である。チャイ、コーヒーと言いながら、その中にせき込みながら入っていき、そのあとでトイレに向かう男もいる。

■3匹の猿

私たちの国には、賢い―頭のおかしい人たちというのが実にたくさん存在している。賢くそして頭のおかしい人でいないことは、不可能だ。正義をろうそくの灯りで探しているような国である。起こってしまったことを理解することは、実際それほど難しいことではない。全ての人は、一つの道にしがみついて進んでいる。その耳や、目を閉じてしまっている人がたくさんいるのだ。更にその口は、うまくことが運んでいるかのように話す人々である。「
3匹の猿」でさえ変わってしまっているのであり、もはや今日においては意味をなさない。

権利、権利といって、自由に生きること、思考そして話す権利を用いることでさえも、私たちの国では、多くの人に害を与えたのだ。私たちは恐怖とともにいきてきたのだが、それでも諦めることはなかった。希望を手にして、そして頭を上げて進むのだ!

演劇のシナリオを、アレックス・デ・ラ・イグレシアとホルヘ・ゲリカエチェバリア氏がペンを執った2017年作成の『エル・バー』というタイトルの映画から演劇に翻案された。

この質問の答えというのは劇の中に隠されている。行って目撃しなければならない。

トラベスティ(服装倒錯者)を演じているオザン・ギュヴェン氏の演技は大変成功を収めている。誇張すぎることなく必要である状態を演じたキャラクターに丁度、ギュヴェン氏は似合っている。

メル・アスタイ氏を、私は数多くの劇場で鑑賞した。私は、その演技は常に気に入っていた。アスタイ氏は、ここではキャラクターを自然な演技とともに私たちに提示している。立ち上がってアスタ氏に万雷の拍手を。

演劇の最初で、そしてまた時折耳にしていたニハト・スルダル氏は、彩りを添えている。一体、何を物語っているのか、その場面に来たならば、耳をそば立てなければならない。

装飾のデザインについていえば、私が長年鑑賞をした演劇のうちでは最も成功を収めているものだといえるだろう。

このブラックコメディへは、皆さんに対して、立ち上がって称賛を送りたい。しかしながらエムラー・エレンに対しては、その中でも最も大きくそして心からのものを送りたい。

演劇では、オミュル・アルパジュ氏、メルト・アスタイ氏、ネルギス・チョラクチュ氏、セチキン・オズデミル氏、リューヤ・デミルブルト、シェヴケト・チョルフ、オザン・ギュヴェン、アフメト・バルタ、ケマル・ヤズジュ、ジェム・エヴセン、チャータイ・トク、オミュル・ムトゥル氏が演じている。

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:53054 )