アヤソフィア・マドラサが今日、再開されている。86年の後に再開されたアヤソフィア・マドラサは、関心を集める話題の一つとなった。 マドラサは、文化観光省及びワクフ総局により、元のように再建された。では、アヤソフィア・マドラサはどこにあるのか?アヤソフィア・マドラサを誰が壊したのか?関心を集めていることは…
アヤソフィア・マドラサがどこにあり、誰が破壊したのかが関心を集めている。今日再開したアヤソフィア・マドラサはメフメト2世が建設した。メフメト2世は、1473年に[アクコユンル朝の]ウズン・ハサンに向けて行った遠征に随行したアリー・クシュチュを、帰還後にアヤソフィア・マドラサの教授に任命した。この人事はイスタンブルで天文学と数学分野の研究をさかんにし、さらにアリー・クシュチュの講義を知識人らさえも受講した。
■アヤソフィア・マドラサはどこにある?
イスタンブル征服後にアヤソフィア教会をモスクに変えたメフメト2世は、モスクの南西部にあり、当時は聖職者の館として使われていた建物をマドラサに変えた。
やがてマドラサとしての役割を維持するようになったその建物は、すぐに定期的な点検と修復の作業を受けた。
■アヤソフィア・マドラサを誰が壊したのか?
スルタン・アブデュルアジズの治世期1869~1874年の間に解体され、元のマドラサの基礎部分の上に再び建設された新しいマドラサの建物は、アヤソフィアから離れ、西面の線上に準備された計画に従って建てられた。
往時最後のアヤソフィア・マドラサは、至高なるカリフの館(Daru'l-Hilafetü'l-Aliye)マドラサとして使われていたが、1924年にイスタンブル市によって孤児院として活用された。1934年にアヤソフィアが博物館となった際、マドラサは暫く孤児院として使われた。1936年に、荒廃しており使用に相応しくないとの理由で取り壊された。
地域文化遺産保護委員会の2012年12月19日付の1069号決議により、マドラサを再び元のように再建し始めることが認可された。イスタンブル文化財管理局により、2017年12月11日にアヤソフィア・マドラサの第一期の作業が開始された。2019年12月31日に作業の清算が行われた。ワクフ総局による入札で、昨年4月25日にアヤソフィア・マドラサ完成作業の用地の引き渡しが実現した。その後、再建工事のために始まった作業は終了した。
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( 翻訳者:関口ひなた )
( 記事ID:53278 )