トルコの油層に関しかなりの埋蔵を指摘される南東アナトリアで、近年話題に上り、50年前にコンクリートで閉鎖された同地域の土地で油田発見の期待が高まっている。
ディヤルバクルで石油が発見されたり、アダナ県セイハンのコンクリートで覆われた杭泉から石油が出たりしたことをうけ、ガズィアンテプ、シャンルウルファ、アドゥヤマン、ディヤルバクル、マラティヤでは、地元住民らが100近い地点の再調査を求めている。
近年トルコで石油や石油のような埋蔵資源発見のため注力されてきた調査によって次々に吉報が生じ、アドゥヤマン、バトマン、ディヤルバクル、スィイルト、シャンルウルファ、マルディンといった石油井田が見つかった南東部では、新たな埋蔵に期待が高まっている。シャンルウルファやディヤルバクルでは近年新たに油井が掘削され、アダナのジェイハンでは上部がコンクリートで覆われた杭泉から石油が検出された。これをうけ南東アナトリアの人々は希望をふくらませ、アナトリア全体で再調査を実施し、それによって石油井田が発見されるよう望んでいる。
■シャンルウルファでは毎日タンカー20〜30隻分の石油
シャンルウルファのシウェレク郡で地元住民らは、約半世紀行われた石油探査と杭泉の掘削作業により、ユーフラテス川の後背地とも呼ばれるシャンルウルファ、ディヤルバクル、アドゥヤマンの3県の約300の井戸から石油が採掘されたと訴える。そのような中、1日あたり約20〜30隻のタンカー積載量に相当する原油が製油のためハタイへ輸送されていることがわかった。地域全体には、上部がコンクリートで塞がれた杭泉が50〜60基発見されており、これらの杭泉における採油開始が期待される。
■ガズィアンテプ-アドゥヤマンの県境に4基の油井
ガズィアンテプ出身のアフメト・アテシュリ氏は、トルコ石油公社(TPAO)が1986年にガズィアンテプとアドゥヤマンで石油探索活動を実施していたと明かした。また、ガズィアンテプのアラバン郡とアドゥヤマンのベスニ郡間にある4つの異なる地点で石油が見つかったが、十分な水準に達しなかったため上部はコンクリートで塞がれたと述べた。アテシュリ氏は、アダナのジェイハン郡で何年も前に塞がれた杭泉から100万ドル相当の石油埋蔵が発見され興奮したと話し、過去にガズィアンテプとアドゥヤマンで実施されたた石油探査活動で膨大な量の石油埋蔵が発見さていれたと強調した。1986年のTPAOの活動に労働者として参加したと明かしたアテシュリ氏は、以下のように述べた。
「我々が石油を発見した場所の上部がふさがれた。その後全く作業がなされていない。我々は、そこの石油が採掘されトルコに利益がもたらされることを期待していたのに。アラバンでの作業では地面から石油が出てくるのをこの目で見た。ジャージャーと石油が出てきた。そこの上部もふさがれた。また、キャフタの向かいの標高1500mの地点でも石油が出る箇所を発見していた。そこでも全く採掘活動がされなかった。実は作業後、我々はボーナスをもらった。なぜボーナスをくれるのかと尋ねると、探査活動で石油を見つけたからボーナスを渡すと言っていた。」
■発見された石油はコンクリートで封じ込められていた
自身が参加した作業から35年経過しているにもかかわらず、全く進捗が見られないとこぼしたアテシュリ氏は、「我々が石油を発見した地点すべてで上部がふさがれていた。ここからすべての関係者に告ぐ。私が初めて社会保障機構(SGK)に加入したのは、TPAOを通してだった。その頃にもらったSGK記録書類はいまだに持っている。我々頭上にいるトルコの敵は、石油を封じ込めてしまったのだ。封鎖した箇所に関して彼らは『ここには何もなかった。』と言っていた。どうして何もなかったなんて言えるのか。全てコンクリートでふさがれているのだ。アダナでの状況と同じことがこの地域でも起こりえる。実は、我々が探査活動を行った地域の記録はまだ残っている。TPAOは改めてこれらの地点を調査しなければならない。」
■「ジェイハンでの石油発見で興奮した」
エロル・スリュケル氏は、アラバンで1990年代に石油探査活動が行われ、その活動を目にしたと言い、「アダナのジェイハンでの石油発見に興奮し誇りに思った。ここで調査を再開し、この油井から石油採掘がされることを望んでいる。」と述べた。
■半世紀前には標高1200mで探査
東アナトリア地方に位置するマラティヤのアクチャダー郡の人々は、石油と天然ガスの熱狂に包まれている。地元住民らは、50年前に標高1200m地点で石油探査が行われ、その後、掘削された杭泉およそ15~30基の上部がコンクリートで閉ざされたと主張している。また、彼らは探査で天然ガスも見つかっていたと述べ、1969年から1970年にかけて鉱物資源調査・探査総局中央アナトリア第4地区局によりアクチャダー郡付属のウルジャック地区シヴリ地点で探査が実施されたという。地元住民らは、その後に杭泉は閉鎖されたとし、再度調査の実施を望んでいる。ウルジャック地区住民は、半世紀前の活動で探査が行われた地域やその周辺で新たな石油の埋蔵が見つかると信じていると述べた。
■「地域の土壌構造が異なる」
ウルジャック地区在住アブゼル・アスラン氏(69)は、2001年~2007年の間にマラティヤの県環境都市整備局で勤め、後に退職した。彼は何年も経った後にウルジャック地区を訪れた。自身の学生時代、鉱物資源調査・探査総局中央アナトリア第4地区局によってこの地域で石油探査が行われていたと明かし、「55年ぶりにここに来た。新たな取り組みがなされれば、この困難な時代に、我が国にとって一資源となるだろう。」と述べた。
■「井戸から出てきた水の流跡には黒色の跡が残されていた」
学生時代しばらくの間この地域で労働者として働いていたと明かしたアスラン氏は、以下のように語った。「1967年、私は高校1年生だった。鉱物資源調査・探査総局中央アナトリア第4地区局は、シヴリという地域で石油探査活動を行っていた。私はこの間50日働いた。1、2年の活動の後、水が出てきて石油は見つからなかったとして井戸は封鎖されてしまった。ここで出てきた水に石油が含まれており、水の通った筋には石油による黒い跡ができていたのを私はこの目で見た。」
■「少量だが天然ガスが見つかった」
過去に教師と行政官を務め、ウルジャック地区に自身の土地を持ち居住するネジェティ・アラダー氏(70)は、この地域で行われた活動で、少量ではあるが天然ガスが見つかったと主張し、以下のように述べた。「1970年代には、鉱物資源調査・探査総局中央アナトリア第4地区局がシヴリという地域でボーリング調査を始めた。しばらく行われた調査の結果石油が見つからなかったとして調査は終了した。調査では大変少量ではあるものの天然ガスの埋蔵が見つかり、流出した大量の水は黒色をしていたと私たちは聞いた。」
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( 翻訳者:金子萌 )
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