2月6日地震とトルコの未来
2023年02月14日付 その他 紙

2月6日地震は、トルコにとって重大な警告であると同時に、呼びかけでもある。私たちの国の組織とインフラ、都市を新たに作り直し、組織するために自然が与えた痛ましい呼びかけである。

 恐ろしい苦しみを体験している。この文章を水曜日(2月8日)の朝に書いている。月曜日に震源をカフラマンマラシュ県のエルビスタン郡とパザルジュク郡とするふたつの大地震の後、トルコの南部諸県は大規模な崩壊に見舞われた。今でも、アダナからディヤルバクル、マラティヤからハタイまで、何千人もの兄弟たち、子供たち、老人たちが崩壊した建物の下で刻一刻と弱っていきながら救出されるのを待っている。命を落とした何千もの人々の亡骸はといえば、がれきの下で掘り起こされるのを、敬意と愛情をもって埋葬されるのを待っている。建物の外では、人々が自分自身で巨大なコンクリートの塊と鉄の山の中から愛する人たちを探そうともがいている。何十万もの同胞は、家を失っている。寒い。テントはなく、食べ物はなく、水もない。
 我が国で人々が平等に、自由に、幸福に、そして安全に暮らすことができる場所を築くための努力が必要とされている。これは同時に、命を落とした愛すべき同胞たちと、子供たちに対する我々の責務である。

■国家の不能
を見てきた。火曜日(2月7日)の夜半、つまり最初の地震から48時間後でさえ、多くの居住区や、街区や、町や、村にはAFAD(災害緊急事対策庁)所属のチームは到達していなかった。公式の数字に拠れば、6500棟以上の建物が倒壊している(本当の数字を想像してみてほしい)。2009年に創設されたAFADで働く人の数はおよそ7500人である。この人員のかなりの部分は、現場チーム以外の管理センターの業務担当者から構成されている。
 公的な数字をそのまま認めたとしても、建物1棟あたりのAFADの人員は1人以下である。その他にも、AFADのロジスティック能力も極めて貧弱であることがわかっている。そう、今大変広範な地域に広がる恐るべき災害に直面している。このような厄災に対して関係者の救援がどれほど難しいかは明らかである。加えてトルコの北アナトリア断層に沿って、再びこの規模の大地震が予見されていることも知っている。予見されていた災害に対してこれほどまでのロジスティックの欠如の、政府の言い訳はなんであろうか。
 救援のため動員された広域市や市民団体は救援捜索活動に参加するためAFADから許可を得て、そのコーディネートのもと働かなくてはならない。この方法はおそらく紙の上では有効であろう。だが現場では、AFADの捜索救援活動への参加を望むその他の組織や団体の活動を容易にするどころか、困難にしているという感触を得ている。AFADは政府のキャパシティーの不全の、もっとも明白な例だと考えている。キャパシティーを近年では、「治安維持」のために無駄遣いしてまわった行政と政治権力が、地震(あるいは洪水や火災)の際に、不慣れでぶざまで、心ここにあらずというざまであることは、人々をおぞけ立たせている。
 1999年の地震(訳注:17000人が死亡したイズミト地震)の時と異なり、この度の地震の後にトルコ国軍は捜索救助活動に現在までのところ、積極的に参加していない。国防大臣の発表に拠れば、最初の2日間にはたった3500人の兵士が被災地域に派遣されたという。あるものたちが主張するように、トルコ国軍が救助活動に強力に関与しないという決定は、軍事的な介入リスクのためなのだろうか。あるいは、救助活動でどの主体が目立ち、社会にどのようなメッセージを与えるかということについて、完全に政権のコントロール下におきたいためだろうか。
 ほかにも、与党公正発展党の時代とは、トルコが新しい住宅建設と交通通信インフラ整備を活発に行った時代である。この度の地震は、住宅問題と交通インフラ問題にとっても重大な課題を突きつけた。新設の二車線道路の現状は見ての通り。崩壊したのは病院、市役所、おまけにAFADの支部である。この課題を皆さんで採点していただきたい。地震税として知られる特別通信税が、どの細目のために使われたのかという問題は、トルコ史上最大の財政スキャンダルのひとつになるのかならないのか、ただこの政権が交代すれば知ることができよう。

■リハビリはどのように可能か?
 トルコがこの厄災からどうやって立ち直るのかを見積もることは容易ではない。だが、とりわけ被災地域の同胞たちは大変な精神的・経済的打撃を被ることになるだろう。地震が直撃し、1200万人以上の同胞と移民が暮らすこの広大な地域は、どう立ち直るのだろうか。(それ以前から)被災地域を直撃していたのは40年続く内紛(訳注:クルド人組織による分離独立紛争)と、その次にはシリア内戦と、難民の波である。地震が影響を与えたすべての地域は、長期にわたって漂流しており、トルコ一般と比較すればより経済危機の中にある。この震災の後、トルコの最も混沌とし、色鮮やかで豊かな住民のふるさととなっていたこの愛すべき地域をどのように立て直し、この古代の都市を新たにどう再建できようか。

■歴史的選挙に臨んで
 この大厄災は、ただこの地域だけでなく、我が国すべてを深く揺るがす。政府は現在の大不況を選挙後(訳注:2023年5月に予定される大統領選挙)にまで先送りしようとがんばっている。今まで6ヶ月はこうして過ぎ去った。この地震と共に、経済的不況は選挙を待たずして大津波となりうる。私たちは何ヶ月も伝え続けている。トルコは前例のない歴史的な選挙に臨んでいる。選挙まで3ヶ月を残して、この大災害に直面してしまった。このことの、短期・中期・長期、いずれもの行く末を推測することは全く容易ではない。
 だが、大規模自然災害は、感染症のように、広範な政治的・社会的・経済的な帰結をもたらすことを知っている。時に歴史の軌道を劇的に変えてしまう。1985年のメキシコ地震、1999年のギョルジュク・イスタンブル地震、日本の1995年の阪神大震災と2011年の東日本大震災は、極めて重大な政治的・社会的・経済的な結果を生んだ。政治的には政権が交代し、社会のダイナミズムが転換し、組織的な飛躍が生じた。この悲しみの原因となった大自然の出来事は、時に社会的紐帯を強くし、時に減少した資源分配のもたらした新たな社会的分断を生んだ。時に国際協調は深化し、あるいは新たな緊張を引き起こした。この大自然の出来事から、教訓を得た国は、組織を新たに構築した。教訓を得られなかったものは、もっと大きな厄災が彼らに気づかせるまでぼんやりしていた。

■新たな100年に、大きな悲しみとともに臨む(訳注:2023年はトルコ共和国建国100周年)
 トルコは新たな100年に入る。新たな100年では、我が国は古い問題を解決し、直近10年に経験したこの権威主義的で、同時に非合理的な統治形態から救われなければならない。共和国と民主主義を一緒に発展させ、法の支配を重んじ、開発を環境と調和させ、経済的発展を平等な分配とともに進め、内外の平和を重んじ、合理的でしかし多様性を一緒にはぐくむことができる統治ができあがるように、努力しなければならない。国家が社会のすべての グループに等しく奉仕し、これを行う際に公共の利益を重んじ万機公論に決する行政・政治組織を作るため、私たちは働かなくてはならない
 2月6日地震は、トルコにとって重大な警告であると同時に、呼びかけでもある。我が国の組織とインフラ、都市、そして資源を合理的な方法で公益を重んじて、新たにつくり組織するために自然が私たちにもたらした悲しい呼びかけである。何万もの同胞、兄弟たち、子供たち、老人たちをこの地震で失うであろう。彼らのための喪に服そう。愛する人を失ったものたちの傷を癒やすために、連帯のなかで社会として努力し、彼らを抱きしめよう。だが、最も重要なことは、我が国を人間が平等に、自由に、幸福に、そして安全に暮らせる場所にするために努力することが必要である。そしてまた、2月6日地震で命を落とした親愛なる同胞たち、そして子供たちに対して我々は責任がある。これを成し遂げないとすれば、この大地震で(そしてもちろん1999年とその後の災害で)命を落とした人々の思い出と、子供たちの将来を裏切ってしまったことになるだろう。

アリ・ヤイジュオール(スタンフォード大学准教授)

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班K )
( 記事ID:55021 )