ケマル・デルヴィシュ亡くなる
2023年05月08日付 Cumhuriyet 紙
経済担当大臣を歴任した元共和人民党イスタンブル選出議員ケマル・デルヴィシュ氏が74歳で亡くなった。
NTVが報じた報道によると、デルヴィシュ氏はアメリカのワシントンで治療を続けていた。デルヴィシュ氏のパーキンソン病との闘病に関しても報じられた。ここ3月間は悪化する病気とその治療が続いていた。
■ケマル・デルヴィシュとは誰か
ケマル・デルヴィシュ氏は、1949年1月10日にイスタンブルで生まれた。父はトルコ人、母はドイツ人であった。デルヴィッシュ氏は、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の学士課程と修士課程を修了した後、アメリカのプリンストン大学で博士課程を修了した。
1973年から1977年までの間、中東工科大学とプリンストン大学で経済学の分野で講義を行った後、1977年に世界銀行に入行した。世界銀行で1996年に中東・北アフリカ副局長に昇進した。
2000年11月と2001年1月に発生した2度の経済危機後、トルコに招待された。22年間務めた世界銀行を離れ、2001年3月13日にビュレント・エジェビット政権で経済担当大臣に就任した。
2002年8月バフチェリ副首相との意見の相違で辞職した。
イスマイル・ジェム、ゼキ・エケル、ヒュサメッティン・オズカンとともに新トルコ党を結成に携わった。しかし、この党に参加せず、共和人民党から国会議員に立候補した。
2002年11月3日に共和人民党立候補し、イスタンブルで国会議員に選出された。2005年5月9日に国会議員を辞職し、国際連合開発計画の総裁を務めた。2009年にこの職をニュージーランド元首相ヘレン・クラークが引き継いだ。
ケマル・デルヴィシュ氏は、サバンジュ大学国際諮問委員会の理事を務めた。
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( 翻訳者:新井慧 )
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