イスタンブル・ルメリ城地下に125メートルのトンネル発見!
2024年05月31日付 Hurriyet 紙


イスタンブル広域市文化遺産課が2021年から現在に至るまで修復工事を続けているルメリ・ヒサルで、城塞の海岸沿いの部分から真っ直ぐに続く地下道が発見された。イスタンブル広域市総務副課長のマヒル・ポラト氏は、はじめて125メートルのこの地下道がイスタンブル征服の日に発見されたと述べたうえで「非常に重要な発見だ。なぜなら、中世の建築として認められるべき構造物だからだ。なぜならご存知の通り、イスタンブル征服の翌年に中世は幕を閉じたからだ」と話した。

1452年に征服者・メフメト2世が築いたルメリ・ヒサルには、1953〜55年に最も包括的な修復がなされた。この工事から66年後の2021年、イスタンブル広域市文化遺産課のチームが再び修復工事を開始した。修復工事を進めていたチームは、イスタンブル征服から571周年となる5月29日にルメリ・ヒサルの地下に長さ125メートルの地下道を発見した。 

発見されたトンネルの入口は、海岸沿いにあるチャヴダルル・ハリル・パシャ塔のそばにあり、出口はまだ発見されていない。城塞の上部にある壁まで伸びていると推定される出口には到達していないが、長さ125メートルの地下道の中には水路が張られており、ビザンツ帝国あるいはオスマン帝国時代のものと考えられている。地下道は考古学・科学的調査がなされた後、修復工事の完了後に市民に開放される予定ということだ。

■「地下道を発見」

イスタンブル広域市総務副課長のマヒル・ポラト氏は「今日、修復工事と、工事の際に発見され世間の大きな注目を集めており、我々も常に発掘を注視し、重要だと考えている構造物の、物理的な歴史のみならず、それと同じくらいに社会的・軍事的な歴史においても我々が関心を持っているテーマをもたらす発見が眼の前にある。我々のすぐ後ろに見える場所では、この場所での我々の発見と同じ時期に、修復工事の際に発見され現在長さ125メートルまでが判明している、しかし内部では他の通路や分岐に分かれていると推測される地下道も発見されている」と述べた。

■「重要な発見」

マヒル・ポラト氏は「すぐそこに見える塔のあたりには、その上の溝と一緒に発掘を進めている地下道がある。塔や城壁の上から下までを貫いており、前にある溝の基礎部分と一体化した地面があることがわかっている。もちろん、これは非常に重要な発見だ。なぜなら、中世の建築とみなされるべき構造物だからだ。なぜならご存知のように、イスタンブル征服の翌年に中世は幕を下ろしたからだ。中世の防衛向け建造物に地下道があったという発見に直面している。平面図に示したものを写真で補うと、そして断面図で見た部分には、反対側の回廊と一体化していることが見て取れる」と述べた。

■「考古科学的手法によるコメントが可能」

ポラト氏は「この地点より先は、高さ1〜1.5メートルから始まり、中間では城壁の現存部分である城塞の中程に残る貯水池の部分は、高さ4.5メートルほどであり、非常に頑丈な回廊としてデザインされ、周壁と同様、側壁は城塞が建造された時期の建築技法の荒石積みで作られており、上を覆う屋根も特定の地点では1900年代に至るまでの過去の修復で発見されている。このような発見はもちろん、この段階の後で考古科学的手法により建材、材料調査、建築手法の調査により進んだ知識が得られ説明がなされることが可能となるだろう。しかし、そのような形での調査によって短い説明をするならば、(イスタンブル)征服の時代にはこの地点の上に天然の丘がある。征服者メフメトは3人のパシャにここでの建設を命じ、イスタンブル征服の象徴である対岸のアナドル・ヒサルは最近修復が完了した。海峡の幅が最も狭い地点として知られる場所で始まったこの建築物とともに、4ヶ月ほどの短期間で建設されたこの巨大構造物は、実は軍事的にいくらかの必要性があったとされている」と述べた。 

■「6つほどの通路の下で見つかった歴史的な写真が見られる」

マヒル・ポラト氏は、このような地下通路があと6つあると推測されるとしたうえで「1920〜30年代になって初めて発見されたこの通路が完成する前の拡張期に作られた部分の、6つほどの通路の底の様子が納められた歴史的な写真が存在する。我々は初めて、
この部分で多くの地下通路があったということを学術的な調査で明らかにし、他の通路の発掘調査も開始され、一度それらが発見され、学術的な調査がなされていない、もしくは明らかな証拠をもって噂されていたことがらのすべての部分が初めて詳細な形で発見された工事について皆さんに共有したい。この段階の後で、学術的な調査と歴史学的な説明が続く。我々は、私が最初に説明したように、ここを川底としてチュクルチェシメからの上のルートが排水で始まり、しかしながら塔に至るところでは、建設時にここが通路であり海への出口でもあったこと、そして隠され守られた通路として建設され補強された場所だ」と述べた。

■「自らをまっすぐ我々に見せつけようとする発見について言及」

ポラト氏は、地下通路が征服から571周年の日に発見されたと強調したうえで「この種の出来事は大体時期を待ったりするが、そのようなことはなかった。興味深い形であの日現れた発見について言及している。自らをまっすぐ我々に見せつけようとする発見について言及している。イスタンブルの、そして世界の歴史にとって幸運なことだ。とても特別な発見であるとわかるし、そう感じている。修復工事が終わったところで、人々の散歩や訪問に適した状態にする」と述べた。

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( 翻訳者:神谷亮平 )
( 記事ID:58007 )