フェネル・ギリシャ正教徒学校、90日以内に移転命令-修復費問題
2025年10月25日付 Hurriyet 紙


国民教育省は571年の歴史を持つ私立フェネル・ギリシャ正教徒学校に建物の耐震補強に関する公式文書を送って、学校は90日以内に退去しなければならないと通達した。歴史的な学校は耐震補強の費用が捻出できなかったため、現在の校舎から退去しなければならない一方で、費用は1000万ユーロを超えると伝えられた。

ビザンツ人の指導者たちや商人たちはイスタンブル征服後に都市を離れたが、メフメト2世は1454年に彼らを街へ呼び戻した。メフメト2世は呼びかけを勅令によって公式のものとし、ギリシャ正教徒たちの権利を規定した。イスタンブルを離れたビザンツ人たちは集団で街へ戻った。フェネル・ギリシャ正教徒高校はメフメト2世の勅令に基づき1454年に建設され、オスマン朝期に様々な機会を与えられた結果、多くの指導者や筆頭翻訳者、聖職者や総主教を養成した。ゲンナディオス(総主教)とメフメト2世の間で合意が結ばれた結果、フェネル地区に建てられた学校は、時を経て重要な教育の中心になった。1861年以降、学校は古典教育を行う高校に転換した。今日における建物は建築家の(コンスタンティノス・)ディマディスによって1881年にフェネル地区裏の高い丘に建設された。

■国民教育省から公式文書

国民教育省は571年の歴史を持つ私立フェネル・ギリシャ正教徒学校に建物の耐震補強に関する公式文書を送り、学校は90日以内に退去しなければならないと通達した。歴史的な学校は耐震補強の費用が捻出できなかったため、現在の校舎から退去しなければならない一方で、費用は1000万ユーロを超えると伝えられた。学校の理事会は学生たちの教育を続けられるように新たな校舎を探し始めた。私立フェネル・ギリシャ正教徒学校は地震が起きれば被害を受けると思われ、築144年の建物が空から撮影された。

■「校長は修復費用が捻出できないと話した」

考古学者のオメル・ファルク・ヤヴァシュチャイ氏は発表を行い、以下のように述べた。
「学校の歴史はイスタンブルの初期である4世紀まで遡る。総主教に関連する学校として開校したが、時を経て輝かしき日々は失われた。メフメト2世のイスタンブル征服までのことだ。イスタンブル征服後、ギリシャ正教徒は世界の様々な場所に散った。メフメト2世はこの状況を不服とし、全世界のギリシャ正教徒をイスタンブルに呼んだ。メフメト2世は彼らのイスタンブル誘致を申し出、学校は再び開校されると約束した。
安らかに生活できると伝えられ、ギリシャ正教徒たちは再びイスタンブルに戻り始めた。イスタンブル征服から1年後の1454年に当時の総主教ゲンナディオスとメフメト2世の間で合意が結ばれた。私たちの後ろにある学校が再び建設され、月日の中で発展した。約600年にわたる歴史がある。本当はそれ以前から存在するが、あまり資料がない。1860年代に学校は公立高校として再び定められた。それ以前は宗教教育が盛んに行われていたが、以降は科学教育が盛んに行われ始めた。
1880年に老朽化のため新校舎が必要となり、再び建設された。私たちの後ろに見えている学校は1880年に建設が開始され1882年に竣工した。校舎は150年ほど堂々と立ち続けている。教育省から学校の耐震性が不十分との文書が送付され、学校側は90日以内に退去するよう求められた。校長は修復費用が捻出できないと話した。1000万ユーロを超える修復費用がかかる。30人の生徒が在籍している。誰かがここを修復しなければならないが、学校は予算を捻出できない。築150年の学校はまた、イスタンブルのシンボルの一つだ。100万個以上のマルセイユ煉瓦を使用しており、これはイスタンブルでは唯一無二の特徴だ。校舎は4階建てで、敷地は3000平米に及ぶ。経年劣化によって、一部が老朽化している。もちろん大規模修復すれば、学校は以前の輝かしい日々に戻るだろう。」

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( 翻訳者:伊藤梓子 )
( 記事ID:61060 )