イフサン・ドーラマジュ氏、死去―高等教育機構、創設者

2010年02月25日付 Milliyet 紙

高等教育機構(YÖK)創設者であり、ビルケント大学創設者でもあるイフサン・ドーラマジュ博士が死去した。

ドーラマジュ氏は診察を受けていたハジェッテペ大学病院で、多臓器不全によりなくなったと発表された。また、2009年11月9日から今日まで、ハジェッテペ大学病院で集中治療を受けていたことも明らかになった。

■日曜日に埋葬

イフサン・ドーラマジュ氏は、2月28日(日)に、ビルケントで埋葬される。

同氏のために、2月27日(土)の午前中に学長を一期務めたハジェッテペ大学にて、午後は創設者であり名誉学長を務めたビルケント大学にて葬儀が行われる。創設者であり、初代会長となった高等教育機構でも、2月28日(日)の午前中に葬儀が行われる。

イフサン・ドーラマジュ氏の遺体は、コジャテペ・モスクでの正午の祈りのあと行われる葬送の祈りののち、ビルケントに運ばれる。ビルケントでは、ドーラマジュザーデ・アリ・パシャ・モスクの中庭に用意された一画に埋葬される。

■イフサン・ドーラマジュ氏の年譜

イフサン・ドーラマジュは、1915年4月3日に、イラクのアルビルで生まれた。ドーラマジュ氏は、生前には、ビルケント大学評議会議長、トルコ・国際児童健康センター長、ユニセフトルコ国内委員会委員長、国際小児科協会名誉会長の職を務めていた。

1971年に、ロンドンで王立医学学校のメンバーとなったドーラマジュ教授は、アンカラ大学医学部で、1947年~54年助手、助教授、教授を務めた。イフサン・ドーラマジュ教授は、1955年~67年の間、アンカラ大学児童保健研究所小児科教授をつとめ、1967年~81年の間、ハジェッテペ大学に勤務した。その後、1963年~65年、アンカラ大学学長を務めた。

ドーラマジュ教授は、中東工科大評議会議長(1965-1967)、ハジェッテペ大学長(1967-1975),、医学保健国内評議会委員長(1974-1981)を務めた。その後、高等教育機構(YÖK)の初代機構長(1981-1992)となった。

(中略)

ドーラマジュ教授は、1985年にトルコの最初の私立大学ビルケント大学を創った。1963年にハジェッテペ大学医学保健学学部で集中教育システムを実践した。アンカラのハジェッテペ大学、エルズルムのアタテュルク大、トラブソンのカラデニズ工科大に、それぞれ医学部をつくる先導的役割を果たし、高等教育機構長となってからは、カイセリのエルジエス大学、サムスンの19マユス大学、スィヴァスのジュムフーリイェト大学、エスキシェヒルのアナドル大学の設立を支援した。

(中略)

イフサン・ドーラマジュ教授は、ビルケント地区に父「ドーラマジュザーデ・アリ・パシャ」の名でモスクを建てた。英語、フランス語、ドイツ語、アラビア語、ペルシャ語を知るイフサン・ドーラマジュ教授は、既婚で、ビルケント大学学長のアリ・ドーラマジュ教授を含む3人の子供の父である。


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翻訳者:倉本さをり
記事ID:18552