「商業広告」集出版―イラスト広告にみるイスタンブル商業史―
2011年09月05日付 Hurriyet 紙
イスタンブル商工会議所(İTO)は「商業広告集―イラスト広告にみるイスタンブル商業史:オスマン帝国から共和国まで」を出版した。
イスタンブルの文化・芸術・歴史をテーマにした権威ある本を出版してきたİTOであるが、新刊『商業広告』集で、この100年間の消費傾向や社会・文化構造の変遷を写し出す華やかな広告の歴史へ読者をいざなう。
当時の商業の有り様を伝える同書は、100年前に用いられていた商売の手法が今日の近代的販売戦略にとても類似していることを明らかにしている。
エミノニュのシャルク・エシュヤ市場は、88年前の広告で靴を試してみて満足いかない客に対し、購入後1ヶ月間の返品保証を行っている。広告では、客がクレームをする場合に担当部署に問い合わせするようになっていることから、クレーム専門の担当員がいたことを示している。
同書では、銀行が100年前も皆をひきつけるような独創的な表現を用い、感性に訴える、現在の広告コンセプトに合う広告・宣伝で、特徴を打ち出していることが伺い知れる。
現在の広告コンセプトに合うコピーを用いていた(当時の)小売業界も、100年前の広告で、今日の専門化された小売業コンセプトの原点となるような店の様々な商品を、特定のグループ(ターゲット・グループ)に焦点を当てて宣伝を行っている。
■美を約束する広告は100年前も同じ
同書によると、昔の広告では工業製品の宣伝には様々な説明、解説がかなり付け加えられている。また品質や信頼を前面に出している。
女性に若さや美を約束する商品は、やはり100年前も人目を引くキャッチコピーと共に、今日の美のコンセプトに違わないモデルの写真を用いて、差異化を図っている。
■商業広告、147年
また同書は、1864年『テルジュマヌ・アフヴァル』紙に我が国の新聞史上初めて、商業広告が掲載されたことを伝えている。
同書には、(広告掲載企業は)当初5社以下であったが、今日までに119,100社を数えることを伝えると同時に、創業80年を超える様々な会社の創業当時の広告・宣伝が掲載されている。19世紀末から20世紀初頭にかけて国家が新聞・雑誌に最も多く広告を出していたことがわかる。
本書の広告は、イスタンブルにおける商業伝統の規模や、今日の多くの有名メーカーが当時いかにして事業を展開していたかを映し出していることでも大きな価値がある。繊維、化粧品、時計、製菓、温泉施設業界で今日でも営業を続けている企業が出した広告は、歴史的にどれも資料としての価値がある。
『商業広告』集で掲載されている広告・宣伝には、絵や写真、文字のみならず、広告業界の有名な作家やエコノミストによる解説もついている。変わりゆく消費動向から、次第に技術的な質を備えるようになった生産様式まで、多くの新進気鋭の論者が筆を執っている。ファッションから不動産、農業から繊維まで様々な広告を扱っている本書は、ラフミ・デニズ・オズバイ助教、マリオ・レヴィ氏、セルダル・オズチュルク氏の文章により一層内容豊かなものとなっている。
■当時の商業の中心地ベイオール
『商業広告』集では、100年前でも、広告の種類によっては女性が登場していたことが目を引く。同時に広告主のアドレスの多くがベイオールであり、この地区が当時のビジネス・商業の中心地であったことがわかる。
イスタンブル商工会議所のムラト・ヤルチュンタシュ会頭は本書の批評で、最初のオスマン出版界(新聞や雑誌)において「今日の広告」として載せられていた商業広告が、商業の発展に伴い、そのスタイルや手法をも発展させたと述べた。
■「当時からイスタンブルの商業的重要性が伺える」
同会頭は、「本書で紹介されている広告コピーは、当時の商品や商売のあり方のみならず、一般的な時代認識について非常に重要なデータを提供している」と語った。
オスマン語の新聞・雑誌から選ばれた広告により得られたデータには2つ重要なポイントがあるとして、ヤルチュンタシュ会頭は次のように述べた:
「第1に、我らが企業家精神の歴史的ルーツを明らかにした。第2に、世界を見据えていた先見の明ある先達たちは、(現代の)我々がどうすべきか再度思い起こさせてくれている。この広告によりイスタンブルに進出している外国資本に関しても、重要な鍵を得ることができるのだ。同様に、イスタンブルを本拠とする多くの金融機関の存在を広告で確認できる。これは、イスタンブルが当時から金融を牽引していたことを物語っている。」
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
翻訳者:山根卓朗
記事ID:23855