AKPの10年(ラディカル紙特集)―建設、建設、建設...都市化
2012年11月03日付 Radikal 紙
トルコにおけるこの10年間は、「建設」という言葉が最も多く使われた政権が統治した。毎日の必要と密接な関わりを持つ自治体を基にした政治的な考え方は、公正発展党(AKP)政権に高い投票率と長期間政権にとどまることをもたらした。
この間、経済は輸出可能な生産物とサービスの代わりに、建設分野と都市の土地造成に依存した。森林、都市の垣根、国有地が新たな住宅地として開発されることで請負業者は活気づき肥えた。そもそもいかに我々の周りにまったく希望したようには反映していなくとも、トルコは1950年代以降、土木整備に重点が置かれてきていた。メンデレス、デミレル政権の道路、ダム、基礎工事プロジェクトで豊かになった小請負業者をAKP政権が拡張させた。主要な大規模基礎工事プロジェ クトの代わりに、小くとも頻繁に都市に関わることにより、影響力がより広範囲に広がる土木整備事業を進めた。
AKPが土木整備に関してビジョンがなかったという主張は誤っている。しかしAKPのビジョンには戦略的な全体性がなく、かなり短期的な解決によっていた ということを見るにつけ、このビジョンに固執することも同様に誤りであると明らかにしなればならない。AKPは、政権が都市整備をおこなうということの興奮を評価することが必 要な一方で、この分野での事業の多くは大きな失望と後悔を生み出した。土木整備事業はかなり未熟で、混乱と取り返しのつかない過ちの原 因となったぞんざいさで実施された。建築学と都市計画の知識で先頭に立つ学者の意見を聞く代わりに、AKP政権はプロジェクトを合法化させる中間の人間と連携することを選んだ。よりよいものをと提言を繰り広げる学者の批判を考慮せず、過ちは言い張った。海外でおこった誤りやよい提言に学ぶ代わりに、す でに世界が断念したモデルを用いた。都市を歩行者ではなく車輛の場として形成した。
集合住宅局(TOKİ)は、社会的な住居の(建設という)観点からそれて、国家の公式な請負会社のように事業を行った。新たな請負企業が自由な市場競争の中で誕生することを妨害しながら、非常に多くの仕事を与える家父長的な組織となった。ここから生まれた新たな都市省は、すべての批判から免除され、過剰な権限を持 たされ設立された。天災の危険は新たな土木整備事業のための合法的な手段とされ、経済が建設活動だけに依存するようにした。
これらすべての展開により「建設共和国」に変わったトルコでは逆説的な状況が生まれた。スペイン、ポルトガル、オランダ等、建設活動が活性化した国々では 建築技術も同じ割合で発展した。 ところがトルコではAKPがインテリ文化から意識的に遠ざかった結果、土木建設活動の増加と比例しなければならない建築文化がいまだに足踏み状態にある。この点からみると、トルコは建設共和国でもあるしチャンスを無駄にした国ともなった。
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翻訳者:富田祐子
記事ID:28118