コラム:アラブの諸政権とイスラーム主義者(2)
2018年09月22日付 al-Quds al-Arabi 紙
■モーリタニア大統領と、「イスラエルはイスラーム主義者より人道的である」という論理(2)
【本紙:社説】
モーリタニア大統領(とアラブのカウンターパート)が、「イスラーム主義者」を個別ではなく全体で捉えて対応する目的は、「ムスリム同胞団」の潮流に代表される真の反体制派からなる政治集団を打倒することである。ウルド・アブドゥルアズィーズ大統領は、武装するサラフィー・ジハード主義潮流のイスラーム主義者に対する敵意を無視している。そうした中で彼は、意識的であれ無意識であれ、「イスラーム国」に代表されるサラフィー・ジハード主義潮流とそれに準ずる主体と同じ立場に自らを置いている。また、双方の言辞は類似しており、互いに求めるところは一つである。弾圧、抑圧、投獄、死刑を用いて穏健な「政治的イスラーム」潮流を打倒し、力ずくで過激化に向かわせ、武装派のサラフィー・ジハード主義諸潮流の下で取り込むことだ。これは、現在のエジプト、以前であればシリアやアルジェリアなどと同じ状況だ。
この言辞の論者が未だ用い続ける第一の詭弁は、「同胞団」こそが、宗教を政治化したというものだ。実際のところ「同胞団」は、宗教を政治化する点で、「キリスト教民主主義」諸政党、またヨーロッパや世界の社会主義的な保守政党と同じだ。そして、すべての保守政党では宗教と、人民の古来の文化的象徴が大きな役割を持つ。ウルド・アブドゥルアズィーズ大統領とアラブの諸政権の「同胞団」との問題は、「同胞団」が彼らの政治システムの中で、宗教に大きな重要性を付与したことに起因しない(同胞団は結局のところ政党であり、その目標は世界のあらゆる政党と同様、政権の座に就くことだ)。この問題は他の複数の原因に起因するのであり、その中で最も重要なのは、「同胞団」が諸政権と、宗教の独占的利用をめぐって争ったことだ。また、「同胞団」の人気が、圧政者たちと競合していることも要因だ。圧政者たちは、いかなる政治的競合者の存在も、反体制派の存在も望んでいない。社会主義者や民族主義者が政治的人気を博していたころ、圧政者たちは彼らを警戒していた。同胞団が現在、警戒されるのもそれと同じだ。
(3)に続く
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翻訳者:藤木郁理
記事ID:45437