■立憲主義と民主主義の狭間のシリア人
【ムーフィク・ニーリビーヤ】
一方で立憲主義者たちは、選挙において(憲法によって無制限の権力を与えられた)「多数派」という形で現れた際、多数派に予想される専制政治の悪を防ぐ手立てとしての規制や制度をわざわざ制定することによって、自分たちの権利を放棄する理由はどこにもない。また、シリア人自身とは異なる巨大な「株主」が存在し、彼らの大半は既にシリア問題の将来的解決策が憲法によってなされることに合意しているのだ。
仮にロシアが、確固たる意志をもってアサド政権の再興と永続に繋がる方向性を欲するのであれば、他の株主たちはこれを嫌うだろう。そして彼らの嫌悪は、アサド政権が存続し発展するにつれて増大してきた。しかしながら、件の憲法委員会設置の発表は、当時ドイツが主導したような同政権に対する説明と清算の要求への道筋を示さなかった。さらには、昨五月のアサド政権の化学武器使用疑惑に関するポンペオ米国務長官の声明や、その後、「今こそが大規模な捕虜交換の時期」としたペデルセン国連シリア担当特使の声明も無視されたままだったのではないか。
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