■『シリア獄中獄外』の著者が語るシリア問題の困難さ
【本紙:ヤシーン・ハージュ・サーレハ】
これら全ては、外国の侵略を前にした敗走というよりも、自壊によるものである。模範というものは、魚のように頭から腐っていく。影響ある二つの信条、すなわちイスラーム主義と世俗主義を、我々の社会における活動家や知識人の思想の中に加えた場合であっても、これは同じことである。イスラーム主義それ自体が自身に与えたほどの損害をイスラーム主義にもたらしたものは一つもない。その破壊はあまりにひどく、人々がこう問うほどである。「もし今までにイスラームを貶め、ムスリムを最大限侮辱しようするものがいたとすれば、彼は『ダーイシュ』よりもひどいものが生むことができただろうか?」と。そして、これは「より秩序立った」他人が多くなかった場合の話である。世俗主義への呼びかけが、世俗主義者や世俗主義潮流と同様に、思想と行動において模倣すべき模範を提供することに失敗したのならば、それは誰かしらの外部勢力の責任なのである。バッシャール・アサド自身もここ数年、世俗主義について語っているが、世俗主義の唱導者はだれも侮辱を感じたり、彼に反発したりすることはない。
つまるところ、我々は名付けようもない状況に自分がいることに気がつく。我々は、現状がその一部である、あるいはもうすぐ世界中のあらゆる場所でその一部になるように見えるものに長く耐えられない。イブン・ハルドゥーンによる定式を真似るのであれば、それは全て場所と範囲に関してそうなのである。
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