■讃美歌「アナー・アル=ウンム・アル=ハズィーナ」…この讃美歌に関する誤った諸情報、これはあなたたちが知らなければならないことである(5)
【ベイルート:本紙】
・ジュハー神父
さらに、レバノンのマロン派修道士で、総大司教典礼問題委員会聖歌支部委員、そしてカスリーク合唱団前指揮者でもあったユーハンナー・ジュハー神父は、「この連禱はその他の連禱と同様、マロン派信者がシリア語を喪失し、宗教義務に関するシリア語書物に記載された祈り、とりわけ受難週における祈りを続けることができなくなったのを補う形で、18世紀初頭、我らがマロン派教会に取り入れられました」と語った。
同神父は以下のように述べた。「もし宗教歌や(当時の言葉で)宗教行列を創作した彼ら修道士がいなかったら、1700年から20世紀初頭、あるいはもっとも新しくは1970年代の第二回バチカン公会議による提議の結果としての典礼復興の興隆に至るまで、マロン派信者の礼拝がどのようなものとなっていたか、私には想像することもできません。聖書から引き出されたこの祈りの数々によって、我らが諸教会を豊かにしてくださった司祭様たち、また聖書の内容をマロン派の伝統楽曲に落とし込んでくれた人物に対し、教会全体として感謝を行っております」。
ジュハー神父は「この連禱の作者は18世紀ベイルートのアブドゥッラー・カラーイリー大司教で、彼はレバノン・マロン派修道会とマリア修道会の創始者の一人でもあります」と伝え、以下のように述べた。「アル=ウンム・アル=ハズィーナの連禱は、およそ300年前からマロン派民衆の行進にともなって歌われています。この連禱は山の子、大地の子であり、イエス様、マリア様を愛する者、慈愛や連帯のもとに生まれし人々、そして祈りを愛する者であるマロン派(信者)の性質と調和するものです」。
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