■1967年戦争下のエジプトでイスラエルのために働いたスパイの死
【本紙】
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ラーフィー氏は、母親がモサドに採用された詳細をこう明かした。「母は父に伴ってベエルシェバに行き、そこで二人はモサドの職員であるアブー・ナイームに会った。そして職員が、二人は完全に自らの支配下にあり、なおかつイスラエル・モサドのために諜報活動を行うことを望んでいることを確信すると、両親の採用は決まり、スパイとしての能力が開発されていった」という。
インシラーフ・ムーサーは1937年にエジプト・ミニヤ市の裕福な家庭に生まれ、1951年に中学校を修了した。
優秀な成績で中学を終えたのち、ムーサーは父親に連れられて親戚の結婚式に出席し、そこでアリーシュ市出身の青年イブラーヒーム・サイード・シャーヒーンと知り合った。数日後にプロポーズされたムーサーは、ミニヤーとアリーシュの距離の遠さを理由に母親に反対されながらも彼と一緒にいることを強く望んだ。短期間のうちに二人は結婚し、ムーサーはアリーシュに移り、夫との生活を始めた。
当時、シャーヒーンはアリーシュの労働監督局の事務所で会計士として働いていた。まだ若い頃、彼は合法・非合法を問わず様々な方法で金を稼ごうと欲するあまりに、贈収賄の罪で逮捕されて3か月間刑務所に収監された。その後出所し、自らが置かれている現実の厳しさを知ることとなった。
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