ユダヤ:イスラエルのために働いたエジプト人スパイの死(5)

2021年11月24日付 al-Quds al-Arabi 紙
■1967年戦争下のエジプトでイスラエルのために働いたスパイの死

【本紙】

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ムーサーは金のために祖国に対する夫の諜報活動に協力した。そのためにモサドの男性職員との性行為を強要されたこともあった。しかし彼女の夢は長くは続かなかった。1974年8月24日にローマからカイロ国際空港に戻った際、自宅に入った彼女をエジプト情報機関の男たちが待ちうけていた。すでに夫の方には、彼がイスラエルにいる上官に最初の電報を送ろうとしたことから、彼らの手が回っていたのだった。

エジプトの情報機関は、当時のソ連の発明によって周波数を捉えることに成功していた。ムーサーが自宅に戻ると、情報機関の人々が待ち構えていたので、彼女は呆然と立ちつくした。その中の一人が歩み出て、「お元気そうで何よりです、ディナさん」と言ってムーサーを迎えた時、彼女は失禁してしまった。80年代末にイスラエルのラジオ放送でディナ・ブン・デイヴィッドなる女性がゲストとして登場したことがあったが、その女性は「自分がイスラエルとイスラエルの人々のためにしてきたことを誇りに思っている」と発言していた。しかしながら後に、この女性こそがインシラーフ・ムーサーであったことが判明したのである。

1989年、ヘブライ語紙『イディーオート・アフローノート』は、ムーサーとその息子らについてのニュースを報じた。ムーサーが現在、息子らのうちムハンマドとアーディルの2人とイスラエルに暮らしていることのほか、息子らの名前はそれぞれハイムとラーフィーに変わっており、また長男のナビールはヨッスィーという名前を選択したと伝えた。

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翻訳者:下宮杏奈
記事ID:52090