全く異なる読書体験・・・アイフェル・トゥンチ氏、小説『オスマン』の技巧

2021年09月03日付 Cumhuriyet 紙

アイフェル・トゥンチ氏の小説『オスマン』(ジャン出版社)の、その最後のページを読む間、その節の間、次第に増していく内的な音楽が読者をどのように引き連れているのだろう?と考えた。実際のところ、事件は螺旋の調和の中で映し出されている。事件が進展をするわけではないのだが、すべての読者が異なる形を思い描くことのできる螺旋の中を歩くのだ。
もしもオスマンを読んだことがないのであれば、必ず読むべきだ。そして、もし読んだのであれば、意識の流れの手法で書かれたことへ、点や句読点を取り除きながら読んでほしい。その音楽においては、アルノルト・シェーンベルクの、伝統的な「トータルミュージック」の文脈に対峙する作品の一つである『月に憑かれたピエロ』を聞いてほしい。『月に憑かれた』ある人の心の状態における調律のない文章に耳を傾けて見てほしい。



■内的-音楽

あなたが手に持っている小説を勢いをもって読み進められるのであれば、その小説家には、いくつかの能力があるということである。
第一にテーマが心動かされるものであること。第二には、テーマはありふれたものであるのだが、その語りにおける息遣いが心を引くものということだ。第三には、作家がある時期に起こったことをあなた方も体験させているということだ。
心を動かすことのできる技術というのは、作家が作り上げた内的な音楽によって織り上げられているということだ。流れるように読める本は、読者を疲れさせることがないのだ。一般的に短い文章、更にはその文章の間にある見ることのできない息遣いもしくは見ることのできない繋がりを作り上げるのである。
そのような見ることの出来ない点をあなたは読者として自身の感性で置くのである。作家があなたのためにその自由をもたらした、という訳なのだ。書籍の構造(スタイル)、テーマ(エッセンス)の前に来るのである。最終的に書籍にそのように結びついたのであるから、殆どあなたが書いたようになるという訳である。アイフェル・トゥンチ氏が新作小説『オスマン』がその最後のページを読む間に、その文の間に次第に増してくる内的な音楽が読者をどのように引き連れまわしたのだろうか、と考えてみた。実際のところ、事件は螺旋の調和の中で反映されている。事件が進展をするわけではないのだが、全ての読者が異なる形で思い描くことのできるある螺旋の中を歩いているのだ。
「私は疲れていたのです。いかなることにも気分が乗りません。何とか生きている、という訳だったのです。私の考えではデプレッションだったのでしょう。」
自分の中に閉じこもってしまい、打ちひしがれてしまっている人が物語られている。
とりわけ、「その」という文字が繰り返されること、また短い文が鎖のように言葉を繋げていることは、深いところで嵐の叫びを反映しているのだ。螺旋の渦が回り続けて「その事件」を物語っている。アイフェル・トゥンチ氏の、もしもこのレベルの注意深いトルコ語のメロディカルな語りが使われることがないとすれば、書籍がモノトーンになってしまうことは避けようがなかっただろう。

■意識の流れ

私は『オスマン』を読む間、時々「ピリオドーコンマ」のような全ての句読点を脳裏から消していた。それらを中から取り除いていたのだ。その時に私は、意識の流れによりよく耳をすますことが出来た。句読点、感嘆符、いかなる句点も存在していないのだ。あなたが自身で自分の中の句読点、定点もしくは感嘆符をもたらしながら、その驚きを自分自身で作り出すという訳である
ジェームス・ジョイスのように、ヴァージニア・ウルフのように。もしくは、音楽世界におけるパラレルな存在である新ウィーン楽派のアルノルト・シェーンベルクもしくはアントン・ヴェーベルンの作品のようなものである。伝統的な音楽の境界が取り除かれている、8音符がつながる文章の代わりに12音がもたらした自由さが表出したようなのである。
もしくは伝統的な肖像から逃れている抽象画家のようである。いかなる作家であっても、「そのナレーションに音楽を生み出そう」といって旅立つことはない。実際の所、困難であるということは自分自身が明らかにするだろう。アイフェル・トゥンチ氏の試みは私には、音楽における12音の自由さがしっかりと担保されている構造が、意識の流れとつながっているというように考えさせられた。ある一つの事件もしくは自殺の事件とともに書籍は始まっている。その後に504ページのうちの全ての事件もまた、それ自体は注意を引くことはない。死んでしまったオスマンの知り合いたちは、自身の観点から、彼らの個人的な生活におけるオスマンを物語っているのだ。
もし未だにオスマンを読んでいなければ、必ず読んでみてほしい。もし読んだとすれば、幾つかのページにまた戻って、意識の流れとともに書かれたもののように、句読点を取り除きながら読んでみてもらいたい。
ジェームス・ジョイスのユリシーズ(1922)、『若き芸術家の肖像』;ヴァージニア・ウルフのミセス・ダロウェイ(1925 )、ウィリアム・フォークナーの『死の床に横たわりて』(1930 )は意識の流れによって執筆されたものであろうようだ。そしてまた20世紀初頭における文学世界の変化を生み出した作品の数々である。
音楽界においてシェーンベルクが、無調の考えを作り上げて、はっきりとしたトーンにつながらないそして伝統的であり、トータル音楽という文章に反乱を起こす作品のうちの一つである『月に憑かれたピエロ』を聞いてみてほしい。「月に憑かれた」ある人物の精神状態の調律の取れていない文に耳を傾けてほしい。

■ミニマリズム
アイフェル・トゥンチ氏の、オスマンにおける音楽とまたもう一つの平行構造もまた、ミニマリストの語りなのである。ミニマリズム潮流におけるそれのように小さな歩みとともに進んでいるのである。読み手は非常に大きい、そしてまた驚くべきような事件を期待はできない。実際のところ、初めから一連の事態の終わりはどうなるかということは知っている。しかしながら、その全てを知る人々は、事件を自身の観点から観察し、その物語におけるミニマルなループを作り出すのだ。一方でオスマンのノートに書かれた思い出を読み、その一方で目撃者の自身のミニマルな世界における様々な解釈についてもだ。
「沢山ありすぎるために、焼いてしまってもよいほどの沢山のものがあったのだ。
ある時には私の感情や考えアコースティック・エレクトロニクスベースギターパイオニアの音響システムそして私のスピーカー喜びそして笑い私のオーデマ・ピゲの時計ライケそしてニコンのカメラトゥミ・アルファのバックほんの少しばかりしか使用していない信頼を置いている私のハンサムなウィルソン・テニス・ラケット、LACROIX ヨットチームのかけがえのないロングプレイ・コレクションの持ち運びのできるレコード・プレイヤー、バング&オルフセンの私の音楽セット、私が若い頃からずっと持っているポータブルCDプレイやー、私のCDそしてDVDプレイヤー、VHSセット、それほど吸う訳ではないものの、私のタバコマスクとともに水分を測るカーボンパターンのあるタバコの箱タバコライタータバコの吸い殻入れの重要でないそしてその傍で父親から引き継いでそしてテオのフランチャイズ料金に対して、わたしに喜んで残してくれた、一つはアフガニスタンもう一つはカザフスタン産の二枚のカーペットそして私の誇りで愛してやまず重要視をしたクリスタルのコーヒーポット、銀食器のナイフ、真珠付のナプキンリング、私の古びてしまったお酒、外国から購入をした英語の音楽映画芸術本それ以外の本私の能力作曲したもの便箋値段の高いサングラスとても値段の高い車私の願い期待夢将来シェブネムが最初の頃にとても文句を垂れてそののちに気を留めなくなってしまった気楽さ不安のなさ安心さシェブネムの私も大好きでありそしてまた愛してやまない事である興奮そしてスリル私の曲の歌詞短い物語、詩の試み高価なインクとともにあるとても高い万年筆数えきれない程のノート数えきれない程の服数多くの家具そして氷の上に置いたかのように生きているな薄さの一つ一つがなくなってしまうすべてのディテール」
句読点を取り除くとまるで音楽であるかのようなやり方とともに具体的そして抽象的な価値がオスマンの生活を特徴づけているように立て続けに並べられている。作家は、すでにオスマンが一体どのように死んだのかということには戻りはしない。実際に、本のはじめから、ずっとこのことについて私たちはよく知っているのだから。しかしながらその語りにおいて息をきらしながら据えられているこの一続きのセットのすべての句点を取り除いたとすれば、その死が近づいているということに気が付くのである。


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翻訳者:堀谷加佳留
記事ID:52959